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先週は重い締切仕事をかかえていたためエンテイ実地検証を断念した、
本日も雨っぽいので躊躇したが、やっぱ行きゃよかったなあ、
と申します。
(本日夕刻の雨の状況)
やたら悔しいのでエッセイを書く、と申します。
ディープな丹沢通の諸先輩には先刻ご承知だったっぽいが、
筑波大学に、なんと珍しくも、エンテイ関連の寄付講座が
実在した、と申します(惜しくも今年の3月に終了):
http://www.sff.or.jp/tsukuba/
上記サイトにある「調査・研究リスト」のpdfを拝見すると、
丹沢の、とくにこれまで激レアであった帝室林野局関係の
エンテイ情報が数多く含まれている、と申します。
「諸戸北郎砂防業績研究会」の主題は、わが国の大正~昭和初期の
エンテイ業界に大きな影響力のあったはずの諸戸北郎(敬称略)
(諸戸林業の縁者)の足跡を、ビジネスのコアタイムに月給もらって
白昼堂々、公費をもってたどるという、まことにうらやましいもので
あったっぽい、と申します。
裏山はともかく、報告書pdfの多数のエンテイ情報を拝見して、
どうしてニカニカを抑えられようか?
いやいや丹沢はよいと申します。
当隊が目下精力的に観察している「双耳エンテイ」には
金山沢第6号エンテイ、金山沢第7号エンテイなどと無粋な
名前が付いているが(諸戸北郎博士 論文・写真集III)
当エンテイ群は昭和2年に築設されたことが当時と現況の写真付きで
記載されているなど、まんず丹沢のエンテイに関する、超大型で
並みの勢力の第一級の二次資料であろう、と申します。
ただし執筆者は当地の地誌には親しんでおられないようで、ミスタイプや
エエ~?
な情報も散見するので、鵜呑みにせず検証した上で訂正して差し上げるのが
今後のアマチュア堰堤観察家(以下A.E.K.と略)に課せられた使命である、
と自意識過剰に申します。
一つ腑に落ちたことがある、と申します。
諸戸北郎の存在は、もちろんアマチュア堰堤観察家として存じ上げていたが、
帝大林学科砂防教室の主催者であり、内務省嘱託を長らく勤めたにしては、
後継のエンテイ人への影響が小さかったっぽい、と申します。
戦前のエンテイ文化は内務省が主導し、技監の沖野忠雄(敬称略)の
指揮の下、技師の蒲孚(かばまこと)と赤木正雄(後の貴族院・参議院議員、
「砂防会館」のドン)を筆頭とする技術陣の多大なる貢献があった、と申しても
過言ではなかろうが、この両者は諸戸のいた林学科卒であるにもかかわらず
(ただし所属教室は別)、諸戸北郎を全く無視していたっぽい、と申します。
その理由が「諸戸北郎博士 論文・写真集」に引用された文書から垣間見えた、
と申します。
すなわち蒲(敬称略、小学生が王、長嶋と呼び捨てするようなもの)については
(pdf中のp.419)
とあり、当時の内務省に入省するため、林学科を卒業後、わざわざ工学部の
土木科を経由するという無駄骨を折らざるを得なかった蒲に対し、
無駄勤とは何だ、と申します。
赤木は、おそらく蒲の無駄骨を繰り返すまいとの沖野忠雄の配慮で、
内務省が林学科卒を採用した初めて例であるが、
(pdf中のp.420)
ということがあったということから、赤木のaggressiveな性格を差し引いても、
要するに諸戸北郎は弟子に慕われるセンセイでは全くなかったっぽいことが
わかった、と申します。
【まめちしき】当時の内務省土木局は帝大工学部土木科卒の成績優秀品行方正な者でないと採用されない傾向が
あったが(ただしイケメンに限らない)、ナウでヤングのシチーボーイな土木科卒の軟弱腑抜け腰抜け連中は
ヤマ仕事の治山砂防を忌み嫌い、ハイソな都会の港湾・河川の業界に行きたがった。目立たず泥臭くネオン街もない
ヤマで治山砂防の任務を喜んで着実に遂行するのは心構えのできている林学科卒であり、蒲と赤木が大当たりで
あったため、内務省は以降、積極的に林学科卒の成績優秀品行方正な者(イケメンに限らないが蒲孚はイケメン)
を採用するようになったっぽい、と申します。
当アマチュア堰堤観察家の観察によれば、成功する大センセイは
(イ)いいネタをつかんでおり
(B)番頭、学生に恵まれ
(J)慈父のごとく慕われ
(ウ)有象無象の卒業生が入りびたって情報と人脈の中心にあり
(ミ)みんなでほめ合ってみんなでエラくなる
というものであって、そんな大将は滅多にいるもんではないが、諸戸北郎も
(イ)以外の要件を満足していなかったと思われる、と申します。
また赤木正雄と蒲孚は入省時の因縁を引きずったか、宿命のライバル関係にあり、
富山の常願寺砂防に関しても「蒲・赤木論争」があった、と申します。
当アマチュア堰堤観察家はこれについての情報も希求していたが、
筑波大学に寄付講座を置いた当の(財)砂防フロンティア整備推進機構さんが、
既にまとめて下さっていた、と申します:
「常願寺川の流域管理の変遷と確立における 本宮えん堤の文化財的価値について」
http://www.sff.or.jp/content/uploads/H23Gakkai08.pdf
どうやら(財)砂防フロンティア整備推進機構さんには素晴らしい先達が
おられるようだ、と申します。
エンテイのごとき超現場仕事に関しては、現場の若いもんに勝てるわけがなく、
またせっかく沖野の配慮で内務省嘱託にしてもらった諸戸北郎がふんぞり返って
お山の大将俺一人なんぞせずに、よきfixerとして機能していたとすれば、
諸戸・赤木・蒲の三つ巴の争いは避けられ、ひいては内務省土木局v.s.農林省の
縄張り争いは解消し、戦前のわが国のエンテイ文化はますます繁栄していた
かもしれないし、あるいはこれらの醜い争いで足の引っ張り合いをしていた
からこそ、戦前のわが国のエンテイ文化が適度に繁栄したのかもしれない、
などとわけのわからんことを申します。
【憶測】治山と砂防に関しては、その重要性と予算規模からして「治山治水砂防省(仮)」のような独立組織が
あってもおかしくなく、当然、独立の動きはあったはずだ、と申します。「治山治水砂防省(仮)」が実現していたと
すれば、丹沢のエンテイ文化はどうなっていたか? これもわが国の歴史における大きなタラレバの一幕となろう、
と申します。
蒲孚は実験的な勝沼堰堤の築設を始め、日川の砂防に見事成功して後、
http://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/topics/1-100/0032.html
関東大震災後の西・北丹沢のエンテイ工事を総指揮した中心人物であり、
丹沢のエンテイ考究上、偉業を詳しく調査してたたえるべきであると
申します。
沖野忠雄、赤木正雄についての資料は既に豊富にあり、
諸戸北郎についても「諸戸北郎砂防業績研究会」の報告があった今、
時代が求めているのは蒲孚の功績の調査と顕彰であると申せましょう、
と申します。
まずは丹沢はよいと申します。
(つづくかも)
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