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11月3日(祝)は毎年恒例の文化の日である、と申します。
これにちなみ、T氏(仮名)は単独で下記の事業をもくろんだと申します:

(1)物見隧道の出入口で裸踊り(成功)
(2)煤ヶ谷堀切地区「一ノ沢」上流の石積み探し(3個発見)
(3)丸淵から流出した「鋤」の救出(残念無念断念)
(4)唐沢「牛頭観世音」参詣
(5)クラドウの沢界尾根を下から仰ぎ見る(見るだけ)
(6)唐沢「山の神」石碑の解読(昨年度からの継続事業)
(7)異臭漂う「便」マーク除去(2個所)
(8)石尊沢出合から893ピークに向かうヤセ尾根を登る

時系列に並べたが、いずれも甲乙つけがたき文化事業であり、
(3)を逃したのは遺憾であるが、他を曲がりなりにも完遂したことは
喜ばしい、ただし(8)はチト余計であった、と申します。

今回の事業たちから一つだけ特筆せよ、といわれたならば、それは
(4)の「牛頭観世音」であると申します。

DVC00123.JPG大正十二年九月十五日 水死
牛頭観世音
施主 仲原正作

謹告
文字判別のため表面の苔を
お掃除させて頂きましたこと
お詫び申し上げます



この石碑の存在については、先般当地を訪問されたAY・shiro両師
による「OM2+OM3救出隊」にご教示を頂いたと申します:
http://shiro77.cocolog-nifty.com/kumo/2010/10/post-e226.html
ググれば今春早々にマシラ仙人が散策されており:
http://homepage2.nifty.com/mashira2/mitsu/karasawa/kara_10.htm
これまでこの石碑に気づかなかったのは誠に遺憾であると申します。

「九月十五日」の日付が確認できたことが肝要であったと申します。
と申しますのも、丹沢の関東大震災の土砂災害は、地震当日よりも
9/14~15の大雨によるものが甚大だったとする未確認情報があり、
石碑の日付は確かに「九月十五日」とあり、まさにこれを裏付ける
ものであり、9/15の豪雨によって丹沢の各所で地震の2次災害で
あるところの土石流が同時多発したと考えるべきであり、いうなれば
大正12(1923)年9月15日丹沢の運命を決した日であり、
丹沢の堰堤考究上意義深いものがある、と申します。

石碑の施主である仲原正作さんは、この唐沢の地に水力を利用した
製材所を営み、トロッコ道まで設えて、なかなか盛大であった由。
震災復旧期の膨大な木材需要にもかかわらず、工場も経路も壊滅、
名前をつけて大切にしていたに違いない牛も失って、当地における
製材業を放棄せざるを得なかった仲原さんの悔しさは、それはそれは
いかばかりであったろう、と将来うどん屋を開業して牛と暮らしたいと
申すT氏は申します。
仲原さんの思いが込められた「牛頭観世音」碑に遅ればせながらも
お参りできたことは、アマチュア堰堤観察家(A.E.K.)の一人として
合掌するばかりである、と申します。

丹沢はよいと申します。

110602付記
秦野市議会ホームページに歴代の議長・副議長名が掲載されており、
第2代議長に 仲原正作 が見えると申します:
http://navi.city.hadano.kanagawa.jp/gikai/gicyou.html
同一人物とすれば、ますます丹沢はよいと申せざるを得ないと申します。

********************************
本日はお日柄もよく、本厚木0655発宮ヶ瀬行きのバスの座席は
ほぼ満席であったと申します。例によって煤ヶ谷で下りるつもりが、
複数のグループで賑わっており、急遽、唐沢林道経由に変更した
と申します。

98cc2125.gif本日の経路です
(唐沢下流はログ飛び)






「自由乗降」の制度を利用すべく運転手さんに
「唐沢林道の入口で落としてね」と申し出たところ、

0735.JPGなんと運転手君は
「唐沢林道入口」を
知らなかったと申します







右ヨシ左ヨシ前方ヨ-シのリズム絶好調の若手運転手氏であったため
油断した、と申します。にしても、唐沢林道ぐらい知らんとな、と
昨年唐沢林道を知ったばかりのT氏(仮名)は申します。

本日は時間を節約したく、山善御殿の裏あたりから尾根の直登を
もくろんだが、適当な経路がないっぽく、

0800.JPG急がば回れの標語に従い、
ハイウェイを上ったと申します






0809_2.JPG林道に上がると
パワショベが






少なくとも2個所が崩れてたっぽいと申します。

0815_1.JPG本年度の作業道
整備も着々と
進んでるっぽいです





0821.JPGまた別の作業の車が







0822.JPG鹿柵なう







鹿柵は鉄製の金網・樹脂繊維・プラ製の時代を経てステンレス網に
落ち着いたっぽい、と申します。当初の鹿柵は鉄・樹脂網・プラを以て
施行されたるに加へ、維持修繕を怠りたる結果原形を保つものは殆ど
稀である、とどこかで聞いたようなことを申します。

林道の補修費用は計上されるが鹿柵の補修費用は計上されない
っぽい。だから穴が開いて意味のなくなった鹿柵の残骸が丹沢全域に
放置されていると申します。

0845.JPG来ました、物見隧道。
開口端の至近ではデムパ状況が
よくないっぽく、20mの距離を置いて








0847.JPG本日第1のイベント、裸踊りの開始です。
GPS持ってシュワッチ。
本日の諸事業遂行中、唯一人出会った
ロードのヲヂさんに、このタイミングで
目撃されてしまったのは誠に遺憾である、
と申します





0851.JPG札掛側にも作業の車が。
やはり鹿柵か?

こちら側ではGPS持って




9a68708b.jpegトラボルタなう









GPSの記録を検討した結果、国土地理院2万5千分の一地形図の
物見隧道開口端位置は札掛側が違ってるっぽい、と申します(後述)。

0900.JPG隧道を出てすぐの
ところから適当に
物見沢に下ります





0903.JPG今年はキノコの当たり年とか。
これなんか食えそうな気も
しますが。。やめときませう





0908.JPG木橋、ウカウカ這いつくばって
渡ってみたが、もう2度としません
ごめんなさい、と申します





0912.JPG第2のイベント、
一ノ沢奥の石積み
探しの開始です。
これは前回のE1




結論を先に申し上げれば、本日は新たに3個の石積みを発見し
(NE1~NE3)、その分布を前回の図に重ねて示せば次のように
なると申します:

ef94f551.jpegNE1~NE3を赤色で
前回の図に追記








0913_2.JPG一ノ沢(仮)を遡上します。
E2とE3はなかなか幅広です









0920.JPGE7を見て







0922.JPG前回マンドクサだった
ここを強行突破






0924.JPGありました石積み!







0926.JPG前回のナンバリングに
続けるとワケワカランので
NE1(仮)としませう





0928_1.JPG結構削れてます。
大雨のたびにここいらの
土砂が流れ出し、いずれ
丸淵に溜まるっぽいです




0928_2.JPG地形図で3つの枯沢の
合流点にあたるところ。
実際には2股で、
右股の少し上流が再び
2股に分かれています



0928_3.JPG右岸を見ると石積みが!
NE2(仮)






0928_4.JPG左岸にも石積みが!!
NE3(仮)






0931_1.JPGNE3近影。
洗堀されて一部がごそっと
落ちたっぽいです。
一部が落ちても他は安泰




コンクリにヒビが入れば全体が危ういが、石積みはflexibleつまり
柔軟であると申します。セメントを使ってない石積み(空積)の
可塑性つまりplasticityにはもっと注目されてよいと申します。

0933.JPG三股の右を行ってみますが







0935_1.JPGここも削られてます







0935_2.JPGこの先には石積みは
なさそうです









0938.JPG登れないこともないが、
登った先に石積みが
なければ時間の浪費だ、
とつぶやいて、実際には
登れないT氏は戻ります






0942.JPG三股の近くに比較的
新しい炭焼窯。
本日のコースでは
炭焼跡を多数目撃した
と申します






0947.JPG三股の真ん中を行ってみますが
ここでも滝に阻まれ撤退









0951.JPGNE2(仮)の鑑賞は後回し。
三股の左を行ってみます






0954.JPGここの上流はさらに3つに
分かれるが、いずれも
土の含量が高いと申します





0955_1.JPG柱状節理っぽい構造が
目立つと申します






1002.JPG戻ってNE2(仮)観察










1003_1.JPG岩盤に上手に架けてあります







1007_1.JPG天然のミニ滝を前衛とする
構造。立派なもんです






1009.JPG再びNE1(仮)を見て下ります










1010.JPGこの一ノ沢(仮)からの
土砂供給は当分続きそうです。
物見沢に戻ります





1035.JPG物見沢のE10とE11の間の
左岸にある護岸。この上に
経路があったっぽいです





1036_3.JPG今日はE11の水量豊富です







1037.JPG定点撮影







1055.JPG五葉松ノ沢(トヨアラシ沢)
との出合付近。このあたりは
平地っぽく、きっと山仕事の
拠点があったことでしょう




1105_1.JPG今日の丸淵。上流の沢床の土砂堆積を
見れば、OM2+OM3の働きなしには
この先10年くらいはただの土砂溜か





1124.JPG本日は鍬を救出すべく下流に
向かいます。沢は水量多いため、
旧経路を辿ります。
しかし、そういゃここでスッパリ
切れていたっけ、と



1131.JPG今日はイベント多く涙を飲んで断念。
植林地をドライバーで這い上がります






1146.JPG小唐沢橋の練積堰堤。
ここもいつもより水量多く
小柄ながら迫力ありました。

唐沢に入ります



1152.JPG次に見る「牛頭観世音」碑を建てた
仲原さんは、この唐沢の右岸に
トロッコ道をつくったとのことですが
(後述)、これがその跡か?
牛で引くにはちょい急ですねえ。。



1200.JPG牛頭観世音碑を発見
(ちょいお掃除しますた)









1210.JPG対岸に小唐沢の合流をみる
このあたりに、仲原さんの
材木工場があったそうです
(後述)




1231.JPG唐沢を上ります。
先週のAY+shiro隊は
この尾根を登ったようです。
ここから見るとなだらかに
見えますがトンデモない



1241.JPG石を抱くこの木の生長過程は
どんなものだったのでせうか?






1242.JPGその近くにお宮です










1243_1.JPG本社ハ古昔ヨリ創立
ノ旧社ナリシモ其年
月ヲ祥ラカニセス然ル
ニ近世ニ至リ社殿破
壊シ其形蹟ヲ失フニ
至リシヲ以テ茲ニ地

[注]祥は詳の誤記か



1243_3.JPG主二百四十名協議ノ
上再建スルモノナリ
神奈川縣愛甲郡煤ヶ
谷村二百四十名外心
○中
明治廿八年二月吉日
石工 山田福太郎



○はニンベンに土を書いて伎のようにも見えるが
それでは意味が通じないと申します。
○の上の空白部に別の字があるかも知れないが
よくわからない。くやしいが、また来年と申します。

1248.JPG屋根は重心をちょい外してるっぽい、
と申します









1252.JPG上流へ。
この大岩と木がまた見事だと申します









1309.JPG押出ノ沢出合付近の左岸は平地。
石積みがあり、何やらあったに
違いありませんぜ、と申します





1311.JPGこれが便マークかぁ。
道を示してるわけでもなく、
「マーキング」以外の意味は
なさそうですねぇ。
よって2個所撤去しますた
(・◇・)ゞ

他に「便」の記載のない同種の
マーキングを少なくとも3個所で
目撃したと申します。


1325.JPG唐沢は上流がよい、
と申します






1334.JPGナメなう







1413.JPG3個のコンクリ堰堤群。
ふだんは「枯れ沢」の
ここも今日は水流豊富





1415.JPGM-K総帥も注目したこれ、
発電機か?

どうやらエンテイ工事の
作業小屋跡の可能性が
あると申します(後述)





1417.JPG唐沢峠に向かうには、
このあたりで右岸に
取り付かんといかん
かったが、3連堰堤
見ながらウカウカと
上流へ


1418_2.JPG最上流のコンクリ堰堤は
天端の一部が損壊






1420.JPG本体は玉石コンクリート製。
昭和40年前後の作か?
憶測の根拠は後述すると
申します




1422.JPG堰堤の上流に水流痕







1426.JPGザレなう(泣)









そーいゃ最近、静岡の山の崩壊地に2晩へばりついてた猛者がいた、
彼の気持ちになってみようと手前のザレ地を登り始めたら、これが失敗
だったと申します。決死の這いずりでヤセ尾根へ。

68818423.jpeg場所はここです







1445.JPG登山道は極楽







aac89f9b.jpeg極楽はいいんだが、
上のGPS軌跡との
乖離にマサカ!?
と思ってS文社の
地図を見るとやっぱり(笑)



不動尻への登山道は唐沢峠の北のピークを経由する現状に
正しく変更されているのに、ここの誤りがそのまま残っているのは
残念であり不思議でもある、と申します。

1452.JPG893ピークから日向薬師バス停を
考えていたが、秋の行楽客で
混むかもと考え、Uターンして
唐沢峠から二の足林道ルートを
辿ります



1507.JPGトラバ道の旧道へ。
なぜか通行止めになってるが、
正規?の登山道よかずっと
楽だと申します




d193388c.jpeg途中から登山道に合流、
さらに途中から登山道を
ウカウカと離れ、ヘアピンの
車道を下ります




シマタ! この登山道はつい最近、S-OK元帥をはじめとする
有志の諸先輩が整備された、と!
http://homepage1.nifty.com/s-ok/eco/20100829hosyu/20100829hosyu.htm
早まった、拝見すべきだった、と申します。

1534_2.JPGちとボケたが、不動尻付近にも
石積みが多いっぽい、と申します。
造りからして土木部系か?





1548_1.JPGこれはナベちゃん系か?







1548_2.JPGその奥に石積みが!
これは林務課系か?






1606.JPG林道並木にナゾのテープが。
確かAY師範の御記録で見た、
と申します





AY師範の御記録
AY250 谷太郎川本流~七沢山~三峰山~唐沢(2010.04.24 まーちゃんとコラボ)
http://www.geocities.jp/mk20030130/2010-04-24-ay250-yatarougawahonnryuu-nanasawayama.html

26495bb5.jpeg道路が拡がっちゃいましたね







de02a89c.jpegと思ったら、これは。。







4ed3787c.jpeg「大きなダムダ」等と
大書きするなら
ペンキ代を支援すると
申します




1613.JPGT氏の携帯カメラの
インチキズームでは
判別が難しいが、たぶん
「山の神沢2号えん堤」
県土整備部一派の仕業



1643.JPGバス停に着いたら
すぐバスが来た、
と申します





1839.JPG今日も大収穫であった、久々に
北千住直通のロマンスカーに
乗ったと申します。






今日も丹沢はよい、と申します。


********************************
物見峠への道

さて、こうもしばしば物見峠付近に参上するとなると、もうちょい
効率的な登り方というものを考えてもよさそうだ、と申します。

0ad5ae44.jpeg赤が当日のGPS軌跡








実はAの尾根の経路を行けぬかとフェイントをかけたが、若干の
ヤブ漕ぎと急登の悪寒がして断念したと申します。

そういゃ、ここで注目すべきは私設辺室林道)であると申します。
「清川の伝承」(S63)によれば、この私設林道はS28以前、煤ヶ谷の
一戸あたり500円の寄付を受け、青年団が延べ2400人・日の勤労
奉仕によって開設したという由緒正しき道であると申します。
「唐沢林道のあらまし」(県央行政セH1)掲載の井上博司氏談話に
よれば、4kmぐらいで唐沢まで行けると思ったのだが、予想外に
曲がりが多く途中で終わってしまった残念な道であると申します:
http://harashiro.blog.shinobi.jp/Entry/27/
T氏的にも間違って入り込んだことがあるが:
http://harashiro.blog.shinobi.jp/Entry/16/
既に部分的に崩れており、全力疾走できる道ではないっぽい。
しかるに最近のマシラ仙人の御記録を拝見したり:
http://homepage2.nifty.com/mashira2/mitsu/okearasi/07oke_r.htm
YAM師が下降に使っておられたり:
http://www.scn-net.ne.jp/~swallow/yamaaruki_corner/100116bentenhenmuro/bentenhenmuro.htm
AY師・まーちゃん師ペアがビール目指して歩いてみたりして:
http://www.geocities.jp/mk20030130/2010-04-24-ay250-yatarougawahonnryuu-nanasawayama.html
http://35208454.at.webry.info/201004/article_6.html
T氏にもがんばれば使えないこともないっぽい、と申します。
これの一部あるいは全部を使えば、BCDも可能かも?と申します。
そういゃ辺室沢の右岸に辺室ダムのエンテイ道()が残っており、
これを利用してCに繋ぐのもありかと申します。

因みに、吉田喜久治「丹澤記」(岳書房、1983)に次の一節があると
申します:

カラ沢では、大仕掛で伐採が行われている。鉄索で物見峠越しに
ヘンムロ沢に送り、左岸中腹に林道が通じ
トラックがひんぱんに
出入りしている。ディゼルエンジンで能率をあげて苅る、はこぶ、
ガアガアゴウゴウ谷中をふるわせている。いやはやうるさいどころの
さわぎではない。
戦後、武田久吉がこのあたりにふれていたが、雀百まで踊りわすれず
はいいとして、知らぬことは知ったふりはせぬこと、学者らしくもない。
出る幕ではないのにひっぱり出すやつもやつだ。

(p.158、1960(昭和35)年4月24日の記述、原文ママ、下線部筆者)

林業の最盛末期である昭和35年頃には物見峠になんと鉄索つまり索道
つまりロープウェイ施設があり、私設辺室林道もダテではなく立派に活用
されてたっぽい。武田某氏のエエカッコシイのはともかく、その出版物の
中身の乏しさについてはT氏も気づいていたところであり、このあたりの
何に触れていたのか探す気にもならないと申します。

【101129追記】
吉田喜久治「丹澤記」をパラパラしていたところ、探す気はなかった上記の
武田某の言はこれっぽく↓ 備忘のため引用しておきたいと申します:

堀切、これも切通しと似たようなもので、物見峠はいまでは堀切と呼ばれている(武田久吉)
そうだが、私の知るかぎりではいまでも物見峠で通っている。堀切の事実はある(改修)が、
それを名として、物見峠に代る新しい名称でもあるかのような見方はおかしい。いずれにせよ
切通し、堀切はいまの段階では普通名詞と受けとるべきで、これが定着して地名になったと
いうほどの年代を経ていないのである。
 
吉田喜久治「丹澤記」p.285「峠について」と題する小文の一節、原文ママ)

T氏の知る限り、物見峠は物見峠で、これを堀切と呼ぶことはない。ただし物見峠から西の
行政区分は「大字煤ヶ谷字堀切」であり、堀切は立派な地名である。誰も住んでないので
「堀切」に郵便が配達されることもなく、すなわち人口に膾炙していないのであると申します。
「清川村地名抄」p.70に「堀切とは峰を切り割って道を造ったところで、昭和初期までは
丹沢札掛への唯一の経路であった」とあるが、その切り割った峰はどこなのかを明記して
おらずT氏的には著しく不満であったが、これが物見峠のことであるならば話は簡単だと
申します。
「堀切」が果たして物見峠のことなのか、その真偽は堀切地区の諸エンテイ考究上、
無関係とも思えず、今後鋭意調査したいと申します。諸賢のご教示を仰ぎたいと申します。

ついでに畏れながら申せば、「丹澤記」のp.459~461あたりの「諸戸」を諸戸静六に帰属
させるまでの右往左往を見れば、
吉田喜久治の言も(正直に書いてあるだけ立派だが)
鵜呑みにするわけにはいかんのである、と申します。


以上を要するに、煤ヶ谷寺家からの登山道()は捨てたものではないと
申します。


********************************
物見隧道の位置

地形図の物見峠の位置が間違っていることが前回確認されたが
http://harashiro.blog.shinobi.jp/Entry/30/
ついでに物見隧道の位置もアヤシイと申します。

最近のGPSロガーの高感度化は著しく、T氏の所有するPhotomate 887でも
天空の開けた場所なら結構な精度で位置が記録できるっぽく、物見隧道の
開口端から約20mの地点で10分間程度の裸踊りを試みた、と申します。

結果を図示すれば次の通り:

6fb75b15.jpeg灰色は当日の軌跡。裸踊り地点に
軌跡が密集する。橙色は過去に
物見峠を通って唐沢林道に下りた
際の軌跡(090919,100629)。
札掛側の出入り口は地形図よりも
20~30m西北西に位置することが
下り口の位置からも示されている

札掛側の出入口では隧道の延長に20mの距離をとると路肩にぶつかるため、
約30°ほどの角度の地点で裸踊りを試みたと申します。この結果を見れば、
煤ヶ谷側の出入り口は地形図と軌跡が一致するが、札掛側は一致しない。
札掛側は正しくは地形図の表記よりも20~30m西北西に位置すると考える
べきだと申します。物見峠から下った唐沢林道への下り口のログ記録も
この憶測を支持する、と申します。

地形図の地名や送電鉄塔、登山道の誤りについては多くの諸先輩がかねて
指摘されているところであるが、隧道もアヤシイもんだと申します。ただし、
この日の帰路に通過した「二の足隧道」は正しく表記されているっぽい、と
申します。


********************************
仲原さんの「丹沢御林道」

「清川の伝承」に次のような一節があると申します:
p183.JPG清川の伝承
(清川村教委編、S63)
p.183





すなわち「牛頭観世音」石碑の仲原さんは、上唐沢大月の平に水力製材所を
つくって建築材を製板し、トロッコで熊谷の沢の山小屋まで(牛に引かせて)
搬出していた、と申します。

「清川の伝承」の次のページにはその様子が図示されています:
p.184.JPG唐沢から物見峠まで(右図)
物見峠から煤ヶ谷まで(左図)






右図によれば、仲原さんは「山の神」から木管(径25cm)で水を引き、
これを動力として小唐沢出合付近(大月の平?)の製材所で木材を
加工し、ここから「熊谷の沢」「五葉の松の沢」出合付近の山小屋まで
トロッコで運んだっぽいと申します。

「山の神」から小唐沢出合までは500mほどの距離があり、どうして
こんな遠くから水を引いたのか不明であり、ひょっとして間違いかとも
思われるが、ともかく木管も製材所も木造であったため、現在は朽ち
果ててその痕跡はなかろうと申します。

しかるにトロッコ道は鉄材や経路が残ってる可能性がある、と申します。
牛に引かせたんだろうから、高度差のない水平路だったはず。
地形図を見るとこんな感じじゃまいか、と申します:
e2e6b3a3.jpeg唐沢・小唐沢出合は標高約460m
熊谷沢・五葉松沢出合は標高約500m
この2点をなだらかに結ぶと
図の赤線のようになる。
沢筋は桟橋か?



小唐沢橋付近から山小屋までは現在の唐沢林道にほぼ重なるため、
この区間の痕跡は林道開設とともに消えたっぽいと申します。
痕跡が残る可能性があるのは小唐沢出合から現在の小唐沢橋付近
まであると申します。
いや、この部分を精査すれば必ず痕跡が見つかるはず、と申します。
前掲の石碑からすこし下流の右岸に見られるこの部分:
ac1ee58e.jpeg経路っぽい部分を
黄細線で示す
(写真は再掲)





は大いに期待されると申します。トロッコ道は仲原さん無念の撤退後、
修復されつつ炭焼道・登山道として継承されたに違いありませんぜ、
と申します。
敬愛する旧道トラバ道の雄、イ師匠はどうお考えになるであろうか?
と申します(with ハァト)

********************************
唐沢峠の架線場と唐沢峠下の林業小屋、3連堰堤

T氏は最近ひょんなことから
DVC00005_M.JPG「丹沢の山と谷」
(東京雲稜会編)
昭和43年
山と渓谷社






という本を入手したと申します。前書きによれば、雲稜会会員・OB延べ
1000人が実際に歩いて完成させた良書であると申します。
早速パラパラしたところ、次の一節を見たと申します:

。。。(大山から下って唐沢峠へ向かうと)いつしか左下は唐沢川上流の
石尊沢が食い込んでくる。尾根筋はちょっとやせたところもあり、しばらくは
下りがつづくと、眼下には架線場が眺められる
そこが唐沢峠で、峠のすぐ左(西)下の唐沢川沿いに小屋(営林署所有)
がある
。峠上にある架線場は唐沢川の砂防工事のために使われたもの
である。。。

「丹沢の山と谷」(東京雲稜会編、S43)pp.36-37 (下線は引用者)

すべてを鵜呑みにはできないものの、
・唐沢峠に資材運搬架線場があった
・唐沢峠下の唐沢沿いに林業小屋があった
という情報は、資料の少ないアマチュア堰堤観察家(A.E.K.)にとって
たいへんありがたいと申します。

「神奈川の林政史」(県林務課1984)のpp.584-585に「治山事業資材
運搬用索道現況表」があり

4c3f1d8e.jpeg唐沢1号(設置年度S35、直営)
唐沢2号(設置年度S37、請負)






の記載があると申します。すなわち雲稜会の目撃した「架線」は上記の
「索道」(業界用語)であり、つまり日常用語的にはここでも「ロープウェイ」
のことであろうと申します。
表の「延長」と「高低差」から、1号は不動尻から唐沢峠まで、2号は
峠から3連堰堤群までの設置と憶測され、堰堤築設と山腹工事の資材
運搬に使われたと憶測されると申します。
唐沢峠直下の玉石コンクリート3連堰堤には銘板がなく、設置者と年度が
不明であったが、以上から昭和30年代末~40年代初頭の県林務課
発注の請負施工と判明
した、と申します。

「小屋」については(営林署所有)とあるが、森林現況図によれば唐沢峠を
含む大山北東の厚木市所管の一帯は県有林であると申します。国有林を
管轄する営林署がここに小屋を建てることはありえないっぽく、当時の
玉川村森林組合のものかもしれないが、治山工事と同期に存続していた
ことから、山腹工事に従事した方々の簡易宿泊所かもしれない、と申します。
また現在、最上流の堰堤と2番目の堰堤の間の左岸に発電機(?)の
残骸が見られるが、これは索道用に使われたものが再生不能の故障の
ために現地に放置されたものと憶測され、稼働時には余熱で風呂などを
沸かし、作業の方々の疲れた体を癒すのに役立った、などと憶測するのは
たいへん愉快であると申します。

********************************
渓流における土砂動態

物見沢上流の沢床に堆積する土砂を観察し、大雨のたびに丸淵に土砂が
流入沈渣するのを目撃するうちに、渓流による土砂の運搬についての
次のイメージがT氏の少し薄くなった頭に流入沈渣堆積した、と申します。
すなわち
●超大雨で源頭/山腹崩壊 → 沢床に堆積 → 大雨のたびに流出
そして従来のイメージと異なるのは
●渓流は平生においては土砂を運搬しない
ことであると申します。
すなわち渓流河川は土砂を水量に応じて常時運搬しているのではなく、
大雨のときに限って土砂を運搬するのだと申します。すなわち自然は
continuousつまり連続的ではなく、discreteつまり離散的であると申します。

さらにそのイメージの前提として次の大前提があると申します:すなわち
【公理】山は崩れる
すなわち重力に逆らって積み上がった状態は不安定であり、風化が進めば
崩れるのが自然であると申します。丹沢の地質は脆いのでなおさらだと
申します。すべて物事は「山は崩れる」ことを前提として考えるべきで
あり、これはT氏の人生を省みても矛盾しないと申します。

今後は上記のイメージを念頭に置いて堰堤観察に勤しみたいと申します。

********************************
山の神沢第2えん堤

当堰堤については
0904161140_1.JPG(2009年04月16日撮影)
昨年に工事を目撃して以来






かねて注目していたが、ウカウカしていたらば09年度中にできあがって
しまったっぽい、と申します。
0904161140_2.JPG(2009年04月16日撮影)
これは当時は何だか
わからなかったが、





今にして思えば岩盤のないところを固めた基礎工事っぽい、と申します。
そして現在の様子はこうである、と申します:
de02a89c.jpeg(2010年11月3日撮影)
(再掲)






貴重なご意見をどしどしお寄せ下さい:
・県土整備局 河川下水道部 砂防海岸課
http://www.pref.kanagawa.jp/sosiki/kendo/0712/index.html
・厚木土木事務所
http://www.pref.kanagawa.jp/sosiki/kendo/1915/index.html

T氏はこれについてちょい調べ始めたが、詳細情報は県広報・議会資料を
手がかりに内部資料を開示請求しないと入手できないっぽく、考究したい
気持ちは山々であるが、今は手が回らず命も惜しく、当面は戦前の石積の
美を求めたいと申します。

概括的には、現在(平成21年度)神奈川県の砂防関係(土木系)の予算は
ざっくり100億円程度あり:
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/01/1103/aramashi/aramashi2010/G54-02.pdf
(p.18「投資的経費の推移(当初予算ベース)」参照)

国土交通省の予算がここ10年で年間2兆円越から半減したペースに合わせ:
http://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/toukei/birn17p2.html
(国土交通省「治山事業費の推移」)
県の事業費も半減したものと憶測されるが、予算請求の資料的には発狂的な
右肩上りを続けているっぽく:
http://www.mlit.go.jp/river/sabo/link20/dosekiryu.jpg
(国土交通省「土石流危険渓流の推移」)
ウカウカ予断を許さぬ状況であると申します。

「山の神沢第2えん堤」とあるからには「第1えん堤」の計画が潜在することが
伺われ、実際、上流部の林道並木のテープを見れば
1606.JPG(再掲)







エンテイ工事のための道路拡幅が画策されているっぽい。
毎日多くの市民が通勤通学に利用する通路の草刈りを市民ボランティアに
押しつけてまで:
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/kasen/kusakari/jichikaiitakuseido.html
(神奈川県 河川草刈り・清掃の自治会委託制度について)
経費を捻出して実施する必然性が果たして「山の神沢第1えん堤(仮)」に
あるのか疑わしい、つか当地は傾斜も緩く、上流の急傾斜地から下流の
人家までには距離もあり、いらんだろせいぜい1個で十分だろ、と申します。

また税収は右肩下がりに落ち込むのであるから、景気対策を口実に実施
され、実際には2層目くらいまでしか潤わない公共工事も、財源が尽きて
そろそろ終焉を迎えるであろうと申します。
よって逆説的にいえば、本当に必要な工事こそを今のうちに実施すべしと
申します。今がインフラ整備の最後のチャンスであると申します。

とりあえず未実施の「第1(仮)」はredundancyつまりアソビが大きすぎる
のであるから停止し、浮かせた予算を必要な事業に回すべきだと申します。

丹沢はよいと申します。
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みかん?
みかん・・・って?
 
マシラさんもあの危険な尾根を降りてるんですねぇ・・・。しかも雪の中を!
雪の中、あんな崖のような岩尾根を下降するなんて・・・さすがマシラさんとは思いますが、恐ろしい事です。
 
ところで、牛頭観音の読み方ですが、『ぎゅうとうかんのん』でしょうか『ごずかんのん』でしょうか?
八坂神社の祭神である牛頭天王(ごずてんのう)とは関係あるのでしょうか?
 
で・・・
みかん?
とにかく早く、みかんを!
shiro URL 2010/11/05(Fri)00:05:20 編集
みかん品切れです
昔、栃木県にいたときに隣町が「馬頭(ばとう)町」でした。
これに対比させれば牛頭(ぎゅうとう)ですね。
しかしググると馬頭(メヅ)牛頭(ゴヅ)という読み方も
あるようで。。。確かに、この石碑を前にして
「ゴヅカンゼノン」とか呟くとカコイイか!?(笑)

みかん入荷待ちです。いましばしご猶予を<(_ _)>
T.I. 2010/11/05(Fri)00:52:50 編集
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