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ウカウカしてたらば体重が自己ベスト記録を続々更新中のT氏(仮名)。
ヤマに入れば大汗かいてシェイプアップ&気力大幅アップ間違いなし!

しかしこの季節の問題は飲料水の担ぎ上げだ、と申します。
1Lコースなら荷重1kg増で済むが、汗っかきのT氏はこれではたいして
動けない。といって4Lコースでは4kg増になって自己記録更新中の身には
チト苦しい。10Lとなると10kg増で、もう散歩だか歩荷だかわからなくなる。
仮に100Lとすれば100kg増となるが、これは鍋割の草野さんに匹敵する
水準で、常人未満のT氏の到底及ぶところではない。

以上の考察から、1kg~100kgのどこかにバランスポイントがありそうだ、
とわけのわからんことを考えてたらば、折良くM-K町内会ドブさらいの
碧の深淵再生プロジェクト実施予告を発見した、と申します。碧の深淵
に浸かってれば汗はかかんと思われるので、飲料水は往路の2Lだけ用意
すればOK。2kg増なら何とかなる。久々の石積観察リハビリ歩行に絶好の
チャンスと思われた、と申します。

しかしながら

1006271002.JPGBEFORE
丸い碧の深淵
ほとりに一人佇んだ
のは覚えてるが




1006271456.JPGAFTER
気づいたらM-K総帥、
AY師範に三歩下がって
唐沢林道を歩いてた、
と申します。



この間、何が起きたのか一向に記憶がないのはどういうわけだ?
と申します(笑)

********************************

重い締め切り仕事を抱えて昨年末からちっともイケてないT氏(仮名)。
年度末事業の期限を過ぎて振り返れば、山行を我慢した割に進捗は
芳しいものではなかった、と申します。むしろ適度にヤマに入っとけば、
次々と出現する無理難題を直登あるいは右に捲き左をよじ登り、古の
石積に邂逅し、ほとばしる清き飛沫を浴びたならば、既に干からびた
雑巾の如きT氏も幾ばくかの水を含み、全力で絞れば少しはポタポタ
垂れ、遂に無理難題も綻びて、今頃は左うちわだったんジャマイカ?
と悔やむことしきりです。

久しぶりに本厚木駅前の「富士そば」に入ってみれば、店長さん交代
したのかすこぶる不味く、0655宮が瀬行きバスに乗り込めば、いつもの
イスパニョーラ系お姉さんはおろか、3婆すら居なかった、と申します。
やはり適度にヤマに入っとけばこんなことにはならなかったと悔やむこと
しきりです。(お姉さんと3婆は土曜日じゃなかったっけか?)

5人しか乗ってないバスの中でシ○ミさん情報を思い出し、ヒル除けの
石鹸を靴に塗りたくってみれば車内に妙なソープ臭が充満し、5人しか
乗ってないとはいえ、図々しさでは定評のあるT氏もいささかバツが
悪かった、と申します。やはり適度にヤマに入っとけば、(中略)

1006270731.JPG丸い淵へはいくつかの
異なる経路が考えられるが、
前回に続き本日も赤軍の
一大拠点、煤ヶ谷~物見峠に
敢えて侵入し、敵陣の偵察と
石積観察をもくろんだ、と申します


しかしネイティブのお父さんの姿が見えず残念だったと申します。

石鹸を塗ったくった靴に、備え付けのDEET製品を重ね塗り、さらに
塩を少々頂戴します。この塩が後々役立ったと申します。

1006270736.JPGよく見れば「砂防」と。
建設省/県土整備部の
縄張り。来るたびに新たな
発見がある、丹沢は実に
よい、と申します



1006270737.JPGここから約30分、
赤軍の本拠地を
通過します。
一瞬のウカウカが
命取りになる
超危険地帯





1006270740.JPGソレ急げ
ヤレ急げ

すべてが「立ち上がる赤軍」に
見えた、と申します。






1006270747.JPGコラコラ、
止まるんぢゃない!








d2de0e60.jpegホレ言わんこっちゃない










1006270756.JPGもうちょっとだ







1006270822.JPGこのベンチまで
来れば一安心、
城門突破!





1006270825maru.JPGと思ったら
ヤラレてた!
と申します





危険地帯では靴に数匹上がってきたが、石鹸のおかげか吸着が
弱く、傘でつつくとポロポロ落ちてくれたと申します。どうやらその
傘を登った奴っぽいです。おそるべし赤軍。

266ce696.jpeg本日の経路です。
なーんだ一般登山道と
舗装林道か、とへらへら
笑ってるそこのアナタ!
そうんなこと言ってると
遭難しますよ!(ヒルに)


往路のもう一つの目的は、テーブル手前から分岐して物見峠に至る
までの、由緒ありそうっぽい登山道の石積み見物だったと申します。

1b56b59b.jpegこの区間、少なくとも
16ヶ所に石積み補強が
あります
(通過時刻で識別)




以下に写真を掲げて顕彰したいと申します:

1006270834_1.JPG0834_1







1006270836.JPG0836







1006270837_1.JPG0837_1







1006270837_2.JPG0837_2







1006270840_2.JPG0840_2







1006270841_2.JPG0841_2







1006270844.JPG0844







1006270845_2.JPG0845_2







1006270846.JPG0846







1006270848.JPG0848







1006270849.JPG0849







1006270851.JPG0851







1006270852.JPG0852







1006270853.JPG0853







1006270856.JPG0856







1006270900_1.JPG0900_1







粗製ながらも丁寧な工作。トラバ道だが、煤ヶ谷と唐沢・札掛を
物見峠を越えて最小仕事で結ぶ、昔から大事に整備されてきた
生活路であることが伺える、と申します。

1006270903_1.JPG物見峠です







1006270905.JPG標高は650mくらいですが
本日はいい感じの雲海が






これだけでも来た甲斐があったと申します。

1006270845_1.JPG0845付近の掲示と







1006270907.JPG物見峠付近の掲示







「土地所有者」としてお名前が記されているお二方は、唐沢林道の
敷設時の土地提供者でもあり(後述)、昔からの地主さんであり、
菓子折とともに参上すれば、経路のみならず石積堰堤についての
情報が得られるかも!?とT氏はメモします。

物見峠におけるヒルチェックではさすがに被害は皆無。しかし
ブユ(小さいやつ)が出現し、左肘をヤラレタと申します。

1006270903_2.JPG物見沢経路(仮)で下り、現在
「丸い淵」に流入している土砂を
産出した崩壊地を綿密に調査し、
あわよくば土砂留の石積新設の
可能性を探る予定ですたが



時刻は9時を回りました。丸い淵に10時頃集合ですから
急がねば。よって大人しく唐沢林道を。

1006270915.JPG物見峠から唐沢林道への
道は下りも大変






1006270924.JPGシカの骨?のオブジェ







1006270926.JPG一ヶ所崩壊。
放置されてる
ということは、
大月沢工事は
終わったのか?



1006270927.JPG「上の崩れたところは
大したことなさそうに
見えるけど、下の
落ちたのを見ると
結構量あんだよね」
(復路にてM-K総帥談)


1006270929.JPG松の大木が。そういえば
この付近に「五葉ノ松」の
地名があるが、それが
どこだかT氏にはわからん
と申します






1006270931.JPGとウカウカしてたら
風でビニ傘が大破






「強風の中の探検は、おそろしい」
(マ隊キリヤマ隊長談)
http://go-kiriyama.1616bbs.com/bbs/ (No.59)
「ホントM-K登山学校は厳しいんですよ~
集合場所に行くのに傘二本大破した事も…」
(まーちゃん談)

1006270948.JPGここから先の記憶が
どうもあやしい、と
T氏は申します





1006271439_1.JPG2巨頭を独り占めできて
舞い上がったのか?






10627-17before.jpgBEFORE
こんなこともしたらしいが
何のことやらさっぱりだ、と。
(M-K総帥サイトより無断拝借)
ちなみに履いてる短パン水着は
マリエくれる?(ブランド物)の
20年物だと申します

10627-17after.jpgAFTER
ウォーリーを探せ、じゃなくて
間違い探し、もちょっと違くって、
まいっか。間違い探しみたいな
もん



BEFORE写真がM-K総帥のサイトにupされるや、なんということ
でしょう!
皆伐地を見ると植えずにいられない新進気鋭の森林
技術者であるシ○ミ総代が、さっそく腕をふるってAFTER写真を
送ってくれた(はぁと)、さすが見事なもんだと申します。

(100705追記) AY師範の写真もupされたので、再び無断借用し
今度は自分で植林してみた、と申します。
100627-ay259-marubuti5BEFORE.jpgBEFORE







100627-ay259-marubuti5AFTER.JPGAFTER







なんということでしょう!ちょい欲をかいた、我ながら修業が
足らんと申します。

1006271441.JPG「旦那ぁぁっ!!」
「敵が潜んでやがった!!!」
(岩兵衛風)
と叫んで目が覚めたっぽい、と
申します



丸い淵の周辺も赤軍が多数うごめいており、物見峠から
林道経由で正解だった、物見沢沿いの旧道も本格的な
赤軍対策が必要っぽい、と申します。

1006271508.JPGいつの間にかイベント終了。
AY師範に頂いたビールを
片手に林道へ。ここの僅かな
距離にも赤軍多数出没




1006271522_1.JPG道中、山桑の実の野趣あふれる
淡い甘露と、これを口に含んで
たちまち想起される郷愁等につき、
レクチャーを頂きます。
単独行では得ようもない知識



1006271554.JPGニカニカ
ばんざい







1006271644.JPG唐沢林道の途中から、
2巨頭が往路で発見された
新経路を辿ります。
H21年度末工事っぽいです







1006271657.JPG極楽の「スカイライン」
(M-K総帥談)






1006271708.JPGではありますが







1006271711.JPG旧経路に合流したらば
ここも赤軍の巣窟。
煤ヶ谷登山道入り口で
調達した塩ひとつかみを、
当地にてほぼ使い切った
と申します


1006271754.JPG帰路、M-K号で七沢の
「ZUND-BAR」に連れて
ってもらってラーメン
ご馳走になりました。
前から気になってた
店でした。上出来の味


旦那ぁぁっ!!旦那についてきてよかった!!(捨丸風)

天気と赤軍の罠が危ぶまれたが、いやいやいい汗をかいた、
水は2L+テルモスの氷水700mLに加え、AY師範より
ビール360mL&リポD2本を頂戴し、結果300mLほど余り、
唐沢林道終点の鳥獣供養碑の前で頭から浴びる贅沢が
できた、丹沢は実によい、旦那ぁぁっ!!わしゃぁこんなに楽しい
のは初めてや!!(岩兵衛風)と申します。
M-K総帥、AY師範、本日もありがとうございました<(_ _)>


******************* 考  察 *******************

【赤軍の傾向と対策】

(新仮説) 敵 は 靴 底 に も 付 く

T氏は昨年秋から煤ヶ谷地区の敵陣を追跡調査しているが、
同地区の敵陣は当日も活況を呈していた、と申します。
往路は単独であり、先行者もいなかったっぽく、被害は
ほとんどなかった。しかるに復路は2巨頭とのコラボであり、
●先陣を切った場合に最も被害が少なく、
●殿(しんがり)モードが最も被害が大きい
という、昨年提出した仮説を追証できたと申します。
すなわち、
(先鋒)T氏石鹸+DEET (中堅)総帥石鹸ハイパーV (大将)師範虫よけスプレー
の順で上った丸い淵→唐沢林道における被害は
師範 ≧ 総帥 > T氏(被害ゼロ)
であり、
(先鋒)師範虫よけスプレー (中堅)T氏石鹸+DEET (大将)総帥石鹸ハイパーV
の順で下りた山善御殿裏における被害は
総帥 > T氏 > 師範(被害ゼロ?)
であったと申します。
上記の2回の観察は
「敵は先陣の通過による刺激で目覚めて立ち上がり、後続に付く」
http://harashiro.blog.shinobi.jp/Entry/13/
という仮説とまさに一致する、と申します。
捨丸風に申せば
「旦那ぁぁッ!! 後ろの連中が罠に!!」
岩兵衛風に申せば
「旦那ぁぁッ!! アカン、後ろが襲われとる!!」
と。

それにしても大将を務めた両巨頭の被害は、急いで歩いたにも
かかわらず、甚大であった、と申します。尺取歩行する敵には、
都合よく靴のヘリに吸い付く機会はそうはないはずである。
いったいいかにして敵は甲板に上陸するのか?

そこで
「敵は圧力には滅法強い」
http://harashiro.blog.shinobi.jp/Entry/12/
という観察ですよ、と申します。
何しろ敵は石で叩いたぐらいでは全然平気。潰したと思ったやつが、
再び悠々と立ち上がるっぽいです。

上記を総合すると、次のシナリオが浮かんでくる、と申します。
すなわち
「敵は先陣の通過(振動、明暗)で立ち上がり、
これを後続が踏んづけると靴底の裏(の窪み)に付く

すなわち靴底の裏に付いたやつは、以降の歩行において踏んづけ
られても平気であり、土踏まず部分にとりついたやつは大ラッキー。
踏んづけられながらもめげずに靴底の裏を移動できたやつが、
やがて甲板に上陸する、と。
この仮説によれば、敵陣で甲板のやつらを一掃したにもかかわらず、
敵陣を脱出してしばらくすると甲板でうごめくやつがいる、という
事実も説明できると申します。
またこの仮説によれば、凸凹の多い靴底ほど憑かれやすい、と。
実用上は、靴の裏もヒルチェックすべし、と。

T氏は早急に本仮説を検証したい、ついてはT氏が先鋒を務めるので
中堅・大将を務めてくれる方を禿しく募集中である、と申します。


******************* 考  察 *******************

【唐沢林道】

T氏はこんな小冊子(のコピー)を持っているそうです:

73d788e9.jpeg唐沢林道のあらまし
平成元年3月
神奈川県県央地区行政センター
(神奈川県立川崎図書館蔵)






堰堤の仕事道が林道に拡張され、林道敷設により堰堤も増殖する傾向が
あり、つまり堰堤問題と林道問題は密接に関係することから、唐沢地区の
諸堰堤に鑑み、この機に上記小冊子の要約を掲げたい、と申します。

すなわち唐沢林道は
c53709b6.jpegS44年に煤ヶ谷柿ノ木平から
「北工区」が着工され









cd7dfa6c.jpeg翌S45年に札掛から
「南工区」が着工され、








S60年11月29日に物見隧道貫通式が執り行われ、公称では平成元年に
開通したと申します。物見隧道から丸い淵にかけての区間が最も新しい
っぽいです。

大本営発表の年表は次の通り:
da3edc3b.jpeg沿革(p.5)









S47年の捨土問題は、いわゆる「犬越路隧道捨土災害(仮)」との関連が
憶測されると申します。すなわち西丹沢の犬越路隧道掘削で出た土砂を、
用木沢本流平沢出合に堰堤を特設し、そこにドカドカ溜め込んでたところ、

8cc19295.jpeg神奈川の林政史
神奈川県林務課編、S60(1985)
p.233





これが同年のいわゆる「47豪雨」で大流出し、下流の被害を増大せしめた
っぽい。その反省上、唐沢林道の捨土についても再考せざるを得なかった
と憶測される、と申します。
捨土は札掛の「県有林林産加工所跡地とその付近の布川の河原へ護岸を
兼ねた石積を設けて」運搬したが、その「護岸の石積がS54年の集中豪雨
で一部決壊したとのことで、痛く反省させられ、ご迷惑をおかけした」という
記述も別所に見られます(p.29)。

S48年の中断は東京農大による「(旦那ぁぁっ!!)カモシカの生息地が!!
という運動によるものだそうです。当時の担当係長であった出縄徳三郎氏が
次の文章を残しています:
4f25f9ad.jpeg唐沢林道開設の初期の出来事
県央地区行政センター林務課長
出縄徳三郎(敬称略)
p.36






唐沢林道の最大の出来事はニホンカモシカ保護を提唱する自然保護運動との
かかわりでした。昭和48年1月に東京農業大学自然保護研究会から「唐沢
流域に棲息するカモシカ10頭の保護と林道開設による諸開発と環境の変化等
を問題点として林道開設を認めないとの意見書が県に提出されたからです。
県は地元林業振興のための必要な林道として、カモシカ棲息地分断の影響を
極力少なくするため、物見峠の通過をトンネル計画とし
、また毎年自然環境
を配慮した計画を毎年度着工前に丹沢自然保護協会と打合せを行う等の内容
で同年11月に合意が得られました。(下線部引用者)

つか、あそこはカモシカが居ようが居まいが隧道だろ?と申します。

つか、尾瀬の平野長靖さんが当時の環境庁初代長官大石武一氏に
三平峠~沼山峠間の林道建設中止を直訴して止めたのがS46(1971)年。
まさに時代ではないか!?と申します。
今の「大月沢」のやりたい放題の治山工事を見ると、 遠い昔の美しい話です。

「唐沢林道のあらまし」には土地提供者のご芳名も掲載されています:
84aae0f9.jpeg土地提供者一覧
(p.22)








前述の「水源協定林」の掲示にあるお二方の他に、個人のKさんは
ひょっとして「私設辺室林道」に立派な門のある「K林業」の関係者か?

法人3社は社名でググるといずれも現存してるっぽく、三ツ矢林業(株)
さんはサイダーとは関係なさそうだがサイダーと似たブランドマークです。

三ツ矢林業さんに関し、T氏は「神奈川県林業史」(県林務課、S46(1971))」
に元県有林事務所長の金子芳蔵氏の回想記に次の一文を見出した、と
申します。煤ヶ谷・唐沢地区を考えるに重要な一項だと申します:
8b82c9ac.jpeg「神奈川県林業史」
(神奈川県林務課編、S46(1971))






昭和32年に愛甲地方事務所林務課長に転出しました。こゝでの苦い思い出は、
唐沢のことです。この頃林野庁は2-3男対策を含めた山村振興事業を打ち出し
ました。愛甲管内でも、2-3男対策で地元も頭を痛めていました。そこで、
清川村煤ヶ谷、唐沢流域の村有地に、予算550万円で20戸、2-3男を対象と
した部落を建設し、毎年20haづつ分収造林を行ない、20ヶ年で1000haを
完了し、20年後には間伐収入を見込み、自立させようと計画を立てました

それまでは、下刈、植栽など、年間雇用出来るよう県で予算を立て世話しよう
という、今では計画そのものは良かったと思っています。最初の34年度から
2ヶ年位で約100ha植栽しました。しかし、昭和35年頃から池田内閣の所得
倍増政策もあり、日本経済の急激な発展で、厚木市付近にも大企業の工場が
進出し、2-3男は、山村に魅力を感ぜず去って行ったのです。この唐沢の
村有地は、三ツ矢観光に売却されました
 (原文ママ、下線部引用者)

毎年20haづつ分収造林を行ない」は「毎年50haづつ」の誤植か?
T氏の余計なコメントを加えれば、木材価格は昭和30年代の後半をピークに
急落したので、早期にポシャってよかったと申します。我が国の小役人の
特質として、散々煽っておきながら都合が悪くなると梯子を外してソッポを
向く
、ということがあり、そのまま続いていたら2-3男たちは大変な迷惑を
被ったと思われる、と。S34~S35年に植栽した100haの面積は1km四方に
相当し、結構広く、林道沿いにまだ残っているだろう、そして「三ツ矢観光」は
唐沢林道に土地を提供した「三ツ矢林業」と同族の企業である、と。

「唐沢林道のあらまし」には施行担当業者も掲載されています:
5283d2b8.jpeg工事施工業者一覧









五洋さんは物見隧道のみ、桜田さんは布川橋のみの担当で、残る3社は
地元の新エンテイ人たちであることに注目されたい、とT氏は申します。
先の「沿革」には、昭和45年に「地元の強い要望により開設進度を早めるため」
南工区の工事も開始され、その南工区の工事を昭和45年度~53年度に担当
したのがY社であることに注目されたい、とT氏は申します。

「唐沢林道のあらまし」の末尾には関係者による「唐沢の今、昔について」
と題する座談会記事があり、重要な情報があるので抜粋したいと申します
(原文ママ、下線部引用者):

●私は県行造林がはじまって間もない昭和35年頃から携わったのですが、
その頃は唐沢出合から歩いていました。索道も架けられましたが、故障が多く、
資材の運搬に時間がかかったりして結局、人力に頼らざるを得ない状態でした。

(落合昌是氏)

●(昭和40年)当時は物見峠に近い唐沢県行造林3、4林班の山に行くの
には大変時間がかかりました。造林用の苗木は煤ヶ谷から物見峠を越えて
運んだ
わけで、作業に従事した人たちは大変な苦労だったと思います。

(梶山英一氏)

●「清川の伝承」にも少し林道のことを書きましたが、今の唐沢林道が
出来る前に炭焼きの人たちで唐沢への林道をつくろうと相談し合って一戸
500円ずつ寄付を集め
て県に陳情に行きました。当時、青年団が中心になって
ツルハシ、テコ棒、モッコなどすべて人力で延べ2,400人の労働奉仕で作った
のが辺室林道
でした。その時は4,000mぐらいで唐沢まで行けると思った
のですが曲がりが多かったため、途中で切れてしまいました。それで仕方なく、
また陳情に行って昭和44年に林道が作りはじめられました。唐沢林道の
通る場所については何度も検討し合いました。
(井上博司氏)

●煤ヶ谷で炭焼きが最も盛んだったのは昭和24~26年頃だったと思います。
当時は炭焼きが村の生活を支えていましたから話題の中心は炭焼きに関する
ことばかりでした。1年を通しての炭焼きでしたので特に、夏炭を背負っての
物見峠越えはかなり難渋
したものです。
(山口八重司氏)

上記の座談会情報に加え、「清川のこみち」には上唐沢地区には製材工場が
あった記述があり、煤ヶ谷を居住の拠点とするならば、唐沢地区はやや遠隔
ながら林業の実業の拠点であったことが伺われる、と申します:
9cfd69dd.jpeg「清川のこみち」
清川村教委編
H8年








T氏にはかねて「物見沢と豊嵐沢に石積堰堤が多いのはなぜか?」という
問題意識があったが、これで事情がわかってきた気がすると申します。
すなわち物見沢経路(仮)と豊嵐沢経路(仮)は、古来、唐沢地区と
煤ヶ谷地区を最短で結ぶ要路
であり、震災後の整備も重点的に
行われた
のも当然である、いずれも沢沿いの経路であり、多数の石積を
拵えて土砂崩壊を食い止めるとともに傾斜緩和に努めたのではないか?
と。

まさに丹沢はよいと申せざるを得ない、と申します。
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祝!丹沢復帰
おおっ! 久しぶりのT.I節。 丹沢に復帰されたご様子に拍手です。
T氏が「適度にヤマに入っとけば」と悔やむ下りには、噴出してしまいました。
 
ヒルの考察、納得です。人の後ろを歩くと取り付かれやすい事は、私も前々から感じていました。
そして、「靴底に取り付く」説には「なるほど!」です。まさしくそうに違いない、と思いました。これからは靴底チェックだ。
 
唐沢林道の考察。興味あるんだけど、私の頭ではよく理解できましぇん・・・。
shiro URL 2010/07/05(Mon)23:11:35 編集
拝復
shiroさん
おつかれさまです~
お忙しそうですがどうかご自愛のほどを。。

ヒルは7/3にちょい実験してきました。
ふつうに踏んだだけでは憑かないようですorz
ですが「土踏まず~かかと」の窪みには
憑く可能性がありそうです。
「つま先」と「靴裏の窪み」に注意したいと
思います。

「唐沢林道」本人もよくわかってましぇん<(_ _)>
その後の調査で、現在の唐沢地区は某宗教団体が
絡んでるらしいことが判明しております。
そうなると林道敷設の経緯も何やらあやしいのですが。
とりあえず石積エンテイとは関係なさそうなので
林道の経緯には立ち入らないほうがいいような
気がしてきますた。

# 調子の出ないときは軽く行きませう!
T.I. 2010/07/06(Tue)07:31:09 編集
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