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ニカニカM-K総帥より望外の「体験入学」パンフを頂いた
T氏(仮名)。飛び上がって喜びながら謹んで拝受し、
「オバケ沢の芸術的石積堰堤コース」に○をして申し込み、
斎戒沐浴一週間、前夜は遠足前の小学生状態で寝付けず、
当日は早朝より顔を洗い歯を磨き褌を締め直して水陸両用
アクアステルス「忍者(見習)」靴を履き、少し薄くなった
頭頂部には帽子をかぶってウカウカ参上したそうです。

da6cafa0.jpeg当日のルート
(沢筋はログ飛び)






前日の雨でオバケ沢の水量は3倍増(M-K総帥談)。遡行に
難儀するも、地形を利用して巨石を積んだ技巧の見栄えも
3倍増(推定)。

頭頂部を隠して落ち口にヨタヨタ吸い寄せられるT氏↓
http://www.geocities.jp/mk20030130/91115-40.jpg
あまりの見事さにあきれて頭頂部を隠しへっぴり腰で見上げるT氏↓
http://www.geocities.jp/mk20030130/91115-42s1.jpg
(M-K総帥の御記録 末尾の「おまけのアルバム」写真F・G)


下流に副堰堤と思しき痕跡もあり、ハンス・シュトルテさんの
「丹沢夜話」にある、「この堰堤は俺がつくったと伝えてくれ」
と呟いたという技師の「俺の堰堤」は、藤熊川のではなくて
これぢゃまいか!?とさえ思ったそうです。しかしその証の
「白樺」は見つからなかったと申します。

道中、M-K総帥の健脚と随所でお示しになる絶妙のご高配に
感涙、崩壊地を平静に高速トラバするAY師範に三歩下がって
後追いを試みるも到底不能と驚愕嘆息、ミックスナッツさんの
出張不在にヲロヲロするも、風人社O師を客員師範にいただき、
危ないところにサッと出てくるKATさんのお助け、横にshiroさん
後にまーちゃんの強力な援護が誠にありがたく、何とか無事に
丹沢2年生に進級見込み、これでアマチュアサイエンテイストを
自称して堰堤道に精進できると大喜びです。

コラボは実によい、改めて申すまでもなく丹沢は実によい、と
申します。本日はありがとうございました<(_ _)>

【記録】********************************

0911150922_2.JPG前日は雨でしたが
当日は見事な秋晴れに
恵まれて





0911150932_2.JPG本谷林道の
落ち葉の絨毯を
ニカニカ歩きます





「林道の概要」(昭43県林務課)という小冊子によりますと、
本谷林道は昭和25年起工、29年竣功だそうです。

0911150941.JPGキューハ沢出合







0911150943_2.JPG林道脇に粗製ながらも
石積みが。






いわゆる「中津川森林鉄道」の痕跡でせうか?
http://www17.plala.or.jp/mugakusai/rin_honbun1.html
#フィクションだそうです

0911150958.JPGキューハ沢出合から
大日沢を200mほど
入ったところに、
秀才型の石積堰堤が
あります。



練積(コンクリ使用)ですが岩盤を上手に利用しており
積み方も丁寧。手前の師とともに風格があります。

0911151002.JPG天端の袖に少々の傷みが
あり、コンクリが見えます。
非常に良質のコンクリが
使われてるっぽいです。




銘板がなく、かかわったエンテイ人の人種も不明ですが
ウカウカ探求心を刺激されたとT氏は申します。

0911151020.JPGさらに150mほど上流に
コンクリ製が。
両脇は岩盤で、いかにも
堰堤築造好適地であり、
ここにも石積があったが
後代に改修されたのかも、
とあてずっぽを申します。

この堰堤は単独では捲くのが嫌になりそうなところですが、
当日はAY師の先導を頂き、わいわい捲くのもまた楽し、
と申します。

0911151030.JPG堰堤の上流に着くと
左岸に仕事道が。
あの橋は勘弁ですが
仕事道は歓迎です。




0911151038.JPGこの仕事道は沢を
行くよりは楽でした。
そのまま次の滝も
高捲きます。

ん?


0911151038_2.JPGん~ん??
この滝は石積か?






ヤマレコにupしてる方の写真を拝見すると
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=28124&pid=d2818e479652e6446acdc8ed3c1c1b24
どうも石積っぽいです。
いずれ再訪して確認する必要がある、と申します。

0911151043.JPG沢歩きの始まりです。
ルートを検討して下さる
AY師。





0911151045.JPGAY師に声をかける
MK校長。






0911151045_2.JPG両巨頭の協議により
随時適切なルートが
示されます。





0911151108.JPG大日沢(写真左)と別れて
オバケ沢(右)に入ります






0911151117.JPG夏場ならジャボジャボ
入って行けそうなナメ






0911151127.JPG傾斜は緩やかですが
当日は水量があり、
諸先達が真に頼もし
かった、と申します。




0911151129.JPGむ?天然の小滝の
ようにも見えますが






0911151130.JPGむぅ







0911151130_2.JPG人為の石積と断定しますた。










0911151131.JPG逆光ですが、
この少し上に
「芸術的石積」が
待っています。




0911151133.JPGキター!







0911151134.JPGT氏の写真では真実が
伝わらない、と申します。
岩盤を見事に活用し、
基部には巨石を、上には
徐々に小さな石を積み、
滝の嵩上げにまんまと
成功しています。

0911151141.JPG空積ではありません。
セメント使用の練積。
手前のshiroさんの影
あたりにセメントが
よく見えます。



0911151143.JPG天端の損傷部の隙間を
覗くとコンクリの欠片が。






セメントは秩父か浅野か?
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00060755&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA
材質を分析すれば築造者と築造年にかかわる重要な
証拠が得られそうです。

0911151145_2.JPG(天端より下流を見る)
諸先達には休憩を
とって頂きました。
ご協力ありがとう
ございました。



名残惜しいですがいずれまた参りませう。

0911151159_3.JPG水濡れを避けようとすると
どうしても無理が生じます。
そんなときにサッと出てくる
KATさんのお助けヒモ。







0911151208_2.JPG平然と進むAY師。
真似しようとしたら
へっぴりになる腰を
抑えようがなかった、
とT氏は申します。



0911151210.JPG一人ならとっくに
引き返してた、と
申します。





0911151244.JPGT氏は沢靴で
ヨカッタと。






0911151309.JPGドラム缶の
由来は塔か?
木ノ又か?





0911151326.JPGキューハ沢出合から
3時間半かかって
遡行が終わりました。





0911151338.JPGここからAY師ご推奨の
「尾根」に取り付きます。






0911151338_2.JPGAY師、shiroさんに
続いて「尾根」に-----
これ尾根じゃありません
「斜面」です(笑)-----
取り付きます。



0911151350.JPG丹沢写真館さまと
待ち合わせた鞍部






0911151351.JPG既に出発されたようです。
堰堤見物などして大幅に
遅れてしまいましたから。。
後に、尾根を下りたところで
無事にお目にかかれて
幸いでした。


0911151357.JPGいい感じの腰掛けが
ありますが、ちょい
湿っており





0911151357_2.JPGAY師が以前に試みた
ところ、ちょいヒビが
入ったと(笑)





0911151404.JPGAY師は崩壊地をトラバ。
三歩下がって師の影踏まず
後追いせむとがむばったが、
三歩が五歩に五歩が十歩に、
遂に師の影を見失った、と
申します。


0911151408.JPGT氏は降参、脇の藪を
へいこら登ったそうです。






0911151415.JPG稜線に入りました。
この尾根は極楽。






0911151426.JPG時刻は既に2時半。
諸師と合流後、
p1331付近で
昼食を済ませて
ただちに下山します。



実はT氏、この機会にキューハ沢に下りて堰堤+戦闘機エンジンを
探索してみたかったそうです。時間なく省略と相成りましたが、
当日の丹沢写真館さま情報によれば、やはり水量多く危険であったと。
またマシラさん情報でも
http://homepage3.nifty.com/yamaasobi/nuno/kyuha/091121/kyuha09.htm
キューハ沢もT氏のごときがついでにウカウカ近づくところでは
なさそうです。

オバケ沢堰堤見学もさることながら、当日はかねてネット上で驚愕しつつ
親しんだM-K総帥・AY師の山歩きスタイルを間近で拝見する機会を頂き、
実に幸甚であった、とT氏は申します。しかるに、両師のVスタイルを
一言で申せば
「從心所欲不踰矩」 (論語、為政第二ノ四)
すなわち 
「心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」
すなわち
「やりたい放題やらかして、決して人の道を踏み外すことはない」
ということではないかと申します。
すなわち師の何でもない所作は、その実、深い経験に裏打ちされており、
形だけウカウカ真似すると大変なことになるっぽい、と申します。

ただし「AY師の果物」だけは直ちにウカウカ真似したい、と申します。
師は柿やパイナップル等の果物をたくさんお持ちになり、こまめに食され、
同行者にもすすめて下さった。果物なら水も糖分も多く吸収も速い、
今後は水の代わりに果物だ、と申します。

M-K総帥、このたびはお声をかけて下さってありがとうございました。
AY師はじめ先導して下さった諸師に厚く御礼申し上げます<(_ _)>


【資料】********************************
T氏は堰堤の石積法に関する資料を鋭意探求中であるが、
これがなかなか見つからない、と申します。
そういえば我が国には太古から石垣を積む技術があり、
検索で見つけた「まつみInternet」さんの解説を拝見すると
http://www.d1.dion.ne.jp/~mthouse/page1400i.htm
(「お城について考える(城マニアのページ)」)
城の石垣積みとの共通点が多いのではないか、と申します。

神奈川県立図書館<かながわ資料室>開架本に
「山河」 記念特集 30年のあゆみ
(神奈川県森林土木建設業協会、1993年)
という冊子があり、「思い出のアルバム」の項を繰ると
30年どころか100年近く前のものと思われる写真が
掲載されています。一部を拝借すると

DVC00001.JPG平坦地の巨石移動に
用いたと思われる
「修羅」の技法
(年代不詳)




3c1741fc.jpeg小さな石なら、2人がかりの
「持子モッコ」で
(年代不詳)








442a0199.jpegガレ沢における
採石の様子
(昭和17年頃?)

「山河」の写真(上)は
あちこちから拝借した
ものらしく、これは下の
「箱根報國寮絵葉書」
(T氏蔵)と同一です。


DVC00004.JPG石工による整形加工
(年代不詳)

石工さんのステイタスは
高く、賃金は一般労役の
倍くらいあったようです。





たまたまパラパラした英国の商業誌に
ブータンの氷河湖工事の写真が載っており、
aca7cd5d.jpegNature,461,1045(2009)







中程度の石を動かす方法としては、このように
テコで浮かしてヒモで引いて、を繰り返すのが
古今東西、一般的なのかもしれません。


【考察】********************************

幾年か前に、こういう話を聞いた。東丹沢で堰堤工事を担当したある技師が、
出来上がった堰堤の下に白樺の苗を植えて、「この堰堤を造ったのは、
このおれだと後世に伝えたまえ」
といって、現場を去ったというのだ。
この話が本当かどうか知らないが、いずれにしても心が温まる話だと思う。
沢登りする時、あるいは谷間の林道を歩く時、よく堰堤に出会う。そんなとき
私はこの「おれ」氏を思い出して、幾度かその白樺を探した。しかし、まだ
それらしきものに行き当たっていない。おかげで丹沢の堰堤とはずいぶん
親しくなった。
昔の堰堤は実にみごとなものだった。沢にころがっている岩石を、砕かないで
そのままに使って築かれているのだ。最も私の印象に残っているのは、
オバケ沢の廊下にあるもの
で、両岸の岸壁が狭まってくる所に、直径
1メートル以上、目方五、六百貫もあろうという大岩石を巧みにはめこんで
ある。真っ黒で、落ちる水のしぶきにぬれて、不気味に光っている。セメントは
使っていない(引用者注:使ってます)。岩石の重みと岩壁の形を用いただけで
ある。自然の力を借りて自然の力を抑えたこの堰堤は、自然のいたずらの
ように見えるかもしれない。私にとってそれはむしろ、これを造った昔の山の
職人の素朴な力と、自然の法則に対する、無学ではあっても、実に正しい勘を
物語っているように思える。彼らがだれであったか、いつごろこの堰堤を造った
ものか、それらの点は多分当時の帝室林野局の記録に残っているだろう

(太字は引用者)

----------------------- ハンス・シュトルテ著「丹沢夜話」(有隣堂、1983年)

オバケ沢は旧「御料林」に属し、大正12年の大震災で荒廃した後、昭和6年、
玄倉・中川の御料林とともに神奈川県に下賜されています。丹沢の御料林は
飛騨や北海道などに比べて規模が小さく、多くが自然林として残されており、
管理者であった帝室林野局が震災後の復旧の手を加える以前に県に下賜
されたのではないか?だから「芸術的堰堤」を造ったのは帝室林野局では
なく県の林務課ではないか?とT氏(仮名)は思っていたそうです。
しかし「丹沢夜話」を読み返せば帝室林野局とあります。ハンス・シュトルテ
さん(故人)は丹沢界の重鎮。各方面に知己が多かったはずで、仮に林務課が
造ったとすれば、「丹沢夜話」の出版後にその旨のクレームが入って上記の
文は加筆訂正になったはず、ということにT氏は思い至ったそうです。

というわけで「帝室林野局の記録」が何かないかとちょい探したところ、
神奈川県立図書館に
DVC00006.JPG「帝室林野局五十年史」
(1939(昭和14)年)








という立派な本があったそうです。これを見ると
「大正14年5月5日左の通り全部的改正があり翌日施行せられた。此の内
新たに加へられた(中略)臨時砂防工事に従事する職員は大正十二年関東
大震災に因る神奈川縣下丹澤山御料地の崩壊地復舊工事の為である
(p.33)」

(下線は引用者)とあり、
DVC00007.JPG臨時砂防工事ニ従事スル職員
技手ぎて
専任
二人
判任官





崩壊地復旧のための専任の技術職員2名が臨時採用されています(p.35)。
昭和12年1月1日付で廃止。今でいう任期付採用と思われます(写真左)。
項を繰ると
DVC00008.JPG「帝室林野局五十年史」
(1939(昭和14)年)より








「砂防工事は野渓の侵食を阻止する渓間工事と、荒廃した山地を復旧する
為の山腹工事であるが、当局は明治39年頃より毎年砂防工事を施工して
相当の実績を挙げて居る。また大正12年の関東大震災に於て丹澤山、箱根
一帯には各所に崩壊地を生じたので、之が復旧工事として大正13年度より
昭和10年度に至る12箇年間に、66萬6千圓の臨時費を投じて震災復旧砂防
工事を完成した
(p.795)」
 (下線は引用者)

さらに
DVC00013.JPG同上









「大正12年9月1日関東地方大地震に因る丹澤山御料地の崩壊見込面積は
3,000ヘクタールに達したので直に之が復旧の方途を進め、丹澤、中川、世附、
明神峠の各事業区に於る砂防工事費として50萬円を支出することに決定し、
翌13年度より年額5萬円づゝ10箇年の継続事業として先以て渓間工事に着手
した
のである。其の後大正15年度に総額30萬圓を追加し、是亦年々3萬圓
づゝ10箇年の継続事業として主に山腹工事を施すことゝした
ので、結局震災
復旧砂防工事は大正13年より昭和10年に至る12箇年間に亙り、其の工事費は
総額80萬圓となつた。然るに昭和6年11月丹澤、中川両事業区は神奈川縣へ
下賜せられた為、此の両事業区に対しては昭和7年度以降の施工を見合はせ、
昭和10年迄に施工した工種、数量並に経費は次の通りである(pp.805-806)」

(下線は引用者)

と。T氏の思いこみは全く外れており、確かに帝室林野局は独自の復旧工事を
やってますた<(_ _)>

この技手お二方はどのような方だったのでしょうか?
即戦力となる必要から新卒採用はありえず、現場の経験を積んだ新進気鋭の
人品賤しからぬ30~40代の中堅技術者であった可能性が高い、さらに上記の
引用文に「砂防」の語が用いられていることから、内務省からの出向の可能性
がある。任期満了後は出身母体に戻り、戦後の昭和30~40年頃に勲章などを
お受けになったに違いない、たぶん勲5等以上と思われる、とあてずっぽの
プロファイリングをT氏は致します。

DVC00016.JPG上記の表を図に
直しますと、
こんな感じ。
丸数字は堰堤数。
説明する手は
T氏宅の軍師
「諸葛亮こう明」
(略称こう)
(♂猫12歳)

技手は2人しかいなかったため、大正の3年間は「丹澤」と「明神峠」の
2地区を分れて担当した可能性があります。丹澤地区は昭和3年度で
終了しており、オバケ沢の芸術的堰堤は大正13~昭和3年度の築造
であることが伺われる、と申します。

ハンス・シュトルテさんは「これを造った昔の山の職人の素朴な力と、
自然の法則に対する、無学ではあっても、実に正しい勘」とおっしゃるが、
これはとんでもない話。同時期に富山県の常願寺川上流では、後に
「砂防工事で悩むことがあれば、これを見よ」といわれた内務省直轄
「白岩砂防堰堤」工事が、オーストリア自費留学から帰った赤木正雄の
監督で開始されています:

白岩砂防堰堤
http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/3009/kj00008023.html
http://www.toyama-mlit.go.jp/siryo/r_guide/jyouganji/page/jy0012.html
http://www.hrr.mlit.go.jp/tateyama/jigyo/index_shisetsu.html
http://www.hrr.mlit.go.jp/tateyama/jigyo/river/jriver.html
当時の全国のエンテイ人は皆大いに刺激を受けて切磋琢磨に努めたに違い
ありません。

また「神奈川県の林業史(1971,神奈川県林務課)」に「生涯を荒廃地復旧に
賭けて」という一文を残しておられる加藤弘次さんの回想によれば、

私の生まれ故郷は甲府です。大正9年から11年まで、山梨県の名林務課長、
中村三郎の下で庶務の仕事をしていましたが、庶務とはいっても、他の仕事を
手伝わされて、知らず知らずのうちに林業技術関係の仕事を覚え、技術屋へと
移行することとなったわけです。
(中略)
大正11年から1年半程大分県に転勤を命ぜられましたが、当時大分県では、
砂防工事の技術者は極めて少なく、私は技術者として現場に居て、独力で
勉強して一応技術を習得しました。学術図書と現地の体験をミックスするのに
随分苦労しました。
大正13年12月、関東大震災の被害にあった神奈川県に赴任するように、農林省
の田中八百八林務課長から命令がありました。これから神奈川県での永い生涯
の仕事が始まったわけです。
最初の任地は津久井郡の鳥屋村でした。現地主任といっても、副主任の雇と
2人でした
(中略)
山腹工事に初めて川柳のサシ木を採用して好成績をあげ、視察に来られた
東大の諸戸北郎教授にほめられた嬉しいことがありました。それから毎年の
ように先生が私のところに来られました。それまでは、法面に針葉樹を公式
的に植栽していたのですが、活着がわるく、復旧に手間どっていたのです。

http://www.e-tanzawa.jp/support/e-tanzawa_Supt/info/tanzawa-DB/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E6%9E%97%E6%A5%AD%E5%8F%B2/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E6%9E%97%E6%A5%AD%E5%8F%B207.pdf
(pp.87-88)


文中の諸戸教授は帝大「森林理水及砂防工学」講座の初代日本人教授であり、
門下から幾多の治山・砂防技術者を輩出しています。その門下から林務課に
入り、後に林務課長を勤めた生田氏(5代目)、大高氏(7代目)らも、若い時分は
加藤弘次さんの薫陶を得たに違いありません。

というわけで、加藤さん始め当時の現場技術者は無学であるどころか、
エンテイ現場技術を切り拓いた方々
であり、オバケ沢の芸術的堰堤は、
御料林において景観を崩さず巧みに地理地形を生かしつつ技術の粋を
適用した模範的工事である、とT氏は口角泡を飛ばして申します。

帝室林野局によって築造された堰堤が丹澤地区で28、下賜のため中断
された中川地区にも21もあるのは驚きです。その多くは後年の建設省
または県によって改築されたものと思われます。オバケ沢の堰堤は当時の
工事のまま残存する希少な例で、その価値は極めて高い、と申します。

そういえば、とT氏は申します。当ブログの発端である「仲ノ沢経路」の
終点付近に石積堰堤を2つ(1つは破損)見ることができます。
イ師匠の記録を引用させていただきますと:
http://igaiga-50arashi.at.webry.info/200906/article_2.html
・小川谷廊下の終了地点にある、左側が半分崩壊した堰堤
・小川谷終了地点から上流の欅平の下側、東沢出合付近の石積み堰堤
これらは林務課資料では築設者・築設年不明とされているが、実は
帝室林野局の仕事ではないか?
とT氏は憶測致します。

この地区では90年代の始めに神奈川県林務課が秘かに治山工事を企画し、
仲ノ沢経路を潰して保安管理道を開設すべく測量を開始したようです。
丹沢自然保護協会がこれを感知し、反対運動を繰り広げて結局取り止めと
なり、後者の石積堰堤(No.8堰堤)の補修を実施した程度で終了となり、
その後20年ほど経った現在まで、正しく治山工事など不要であったことが
実際に証明されつつある、というイワクのある地域だそうです。
この経緯は同協会の「丹沢だより」に連載されたほか、丹沢ドン会の
小冊子「丹沢の林道を考える」に少し記載があります:
http://www.shutokon.com/yumekoubou/book.html
またe-Tanzawaの「丹沢大山資料目録」のExcelファイル
http://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&ct=res&cd=1&ved=0CAkQFjAA&url=http%3A%2F%2Fe-tanzawa.jp%2Fcontents%2Fdl%2Fsupport%2Finfo%2Ftanzawa-DB%2Fsiryoiu-mokuroku.xls&ei=DLwjS5oEysKUB92e5YoK&usg=AFQjCNFsoLglfonnYOO2HhOg0KyE7EBPrg&sig2=WMYEEa5j34PuMG2CnvQKaQ
の「渓流・水利用」のリンクをたどるとコンサル会社による
・平成8年度 仲の沢流域治山基本調査報告書
・平成9年度 仲の沢流域治山基本調査報告書
・平成10年度 仲の沢調査委託業務報告書
がダウンロードできますが、これには関連記事が豊富に引用記載されて
いるそうです:
「仲の沢流域に関する記事」
http://e-tanzawa.jp/contents/dl/support/info/tanzawa-DB/H8%E5%B9%B4%E5%BA%A6%20%E4%BB%B2%E3%81%AE%E6%B2%A2%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A7%94%E8%A8%97%E6%A5%AD%E5%8B%99%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8a3/2%E3%80%80%E4%BB%B2%E3%81%AE%E6%B2%A2%E6%B5%81%E5%9F%9F%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E8%A8%98%E4%BA%8B.pdf

コンサル会社によって立案されたN0.8堰堤の修復計画は
http://e-tanzawa.jp/contents/dl/support/info/tanzawa-DB/%E5%B9%B3%E6%88%9010%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E3%80%80%E4%BB%B2%E3%81%AE%E6%B2%A2%E6%B5%81%E5%9F%9F%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A7%94%E8%A8%97%E6%A5%AD%E5%8B%99%EF%BC%88%E6%B2%BB%E5%B1%B1%E6%B5%81%E5%9F%9F%E7%B7%8F%E5%90%88%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E4%BA%8B%E6%A5%AD%EF%BC%89%E6%84%9B%E6%9F%84%E4%B8%8A%E9%83%A1%E5%B1%B1%E5%8C%97%E7%94%BA%E7%8E%84%E5%80%89%E5%9C%B0%E5%86%85%E3%80%80%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8/%E2%85%A0%E7%B7%A8%E3%80%80%E4%BB%B2%E3%81%AE%E6%B2%A2%E6%B5%81%E5%9F%9F%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%A8%88%E7%94%BB%28%E6%A1%88%EF%BC%89.pdf
(pdf pp.17-23)
現状を見ると、概ねこの案によって修復されたようです。

【まとめ】********************************
現時点でのT氏の理解では、オバケ沢の芸術的堰堤はシュトルテ説の通り、
帝室林野局の施工である可能性が高い、と申します。また帝室林野局に
臨時採用された技手の仕事は旧御料地の各地に存続してるっぽく、仲ノ沢
経路終点の「No.8堰堤」もその可能性があり、今後鋭意調査を進めたい、
と申します。

丹沢のみならず丹沢に集まる人も実によい、と申します。
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無題
TI氏にノーテンM-Kは申します。
「ムムム・・読む程に奇怪なエンテイスト!」
世には信じ難い事が多く存在するという。この
ブログの存在もその内に当然入って然るべき。
ブログ内をワクワクしながら虫眼鏡で「宝探し」
このブログ作成は並の頭脳では不可能なのです!
我らは火星人の如きTI師に恐れ慄きの心を持って
崇めるのです。
「アッラー・・!エンテイラー・・!」
M-K 2009/11/19(Thu)16:12:20 編集
ありがとうございます
M-K総帥、過日はご指導ありがとうございました。
あの石積は重機を使わないと無理だと思って、
戦後少し余裕が出てきた頃の昭和30年頃かと
考えましたが、そういえば一帯はかつての
御料林ですね。ひょっとすると県に下賜された
直後に県林務課が気合い入れて造った可能性も
あるかな?と思い始めました。
とすると付近に同じように気合い入れた石積が
あるかも知れません。。
近々再訪して探索する所存です。
T.I. 2009/11/20(Fri)00:19:31 編集
オバケ堰堤
TIさん、オバケ沢の堰堤見学お疲れさまでした。

あの見事な石積み堰堤、コメントに昭和30年代の作では、とありますがどう考えてももっと以前の作品ではないでしょうか?
湯ノ沢の深田堰堤でも竣工昭和8年なので、作風からみても、丹沢ではかなり初期のものかと思います。
ここはぜひT氏(仮名)に意見を聞いてみてください。
イガイガ 2009/11/20(Fri)23:49:36 編集
拝復 オバケ堰堤
イガイガ師匠 コメントありがとうございます<(_ _)>
巨石は1トン近く、小さなものでも100kgはありそうで、
重機を使ったに違いないと思い込みました。
その後のT氏の調査で戦前(推定)10トン級の巨石を
人力で動かしている写真を発見し、沢場といえども
・あらかじめ適当な窪みをつくっておき、
・底面を平らにした石を木馬でじわじわ移動、
・最後は丸太でつついてうまく落とし込む、
・一段積んだら盛土して次の段を積みやすくする
という作戦で人力でも積めるような気がしてきた、と
T氏は申します。
訂正文の草案をウカウカ準備しているうちに週末と
なりました。
行って参ります(・◇・)ゞ
T.I. 2009/11/21(Sat)04:04:03 編集
無題
T.I.さん

ドタキャン大変失礼致しました。
オバケ沢楽しそうですね~。ここは未踏ですので
こっそり行ってみようかと思います。でも、これからの時期は濡れるのがイヤなので来春かな~。

今度はニアミスではなく“バッタリ・ニカニカ”と行きましょう。
ミックスナッツ 2009/11/22(Sun)10:02:57 編集
ミックスナッツさん
コメントありがとうございます~
AYさんが(ビールがなくて)寂しそうでした(笑)
コラボ(一方的にお世話になっただけですが)
楽しいですね~ 
昨日は早戸川・奥野林道を長々と寂しく一人で
歩きました。単独だと好き勝手はできますが。

あれ?昨日今日はお休みでしたか?
とすると明日ですね!
T.I. 2009/11/22(Sun)13:05:37 編集
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