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戦前から戦中にかけて延べ3千人の品行方正質実剛健前途有為な
青年を県下の企業や中学(旧制)から集め、10日間鬼の合宿
治山教育(勤労奉仕)を実施した「丹沢報国寮」。 丹沢には彼らの
汗の結実である堰堤もまだ残っているものと思われます。
報国寮は「秦野の寺山にあった」とされますが、「秦野市寺山」を
いくら探してもわからず、その所在は(T氏には)長らく不明でした。
その報国寮の跡地を遂に発見した!とT氏が大いばりです。

0908231027_4.JPG手前にあったはずの宿舎の土台は
不明瞭だが、奥にあった宮様寄付の
講堂の土台と石積みの階段はしっかり
残っています。
図面は既に失われているようなので
現地調査して記録する必要がある、
今ゴミが散乱してるので、きれいに
掃除して記念公園として後世に残すべし!と鼻息が荒いです。

現場は丹沢林道(現、秦野清川線=県道70号)沿いで、

f938f4e2.jpeg地獄沢橋と札掛の中ほど、
なんと諸戸林業の私有林に
あったそうです。

清川方面に向かって右手、
道が平たくなっている所
なのですぐわかるそうです。

発見といいつつ、実は
0908231134.JPG
「札掛森の家」






でスタッフのヲヂさんたちに聞いてみたら一発でわかったそうです(笑)
「あのぉこの辺に報国寮って。。」といいかけたらヲヂさんたちが口々に
「おう、報国寮」「報国寮!」と集まってくれて、指をさしながら、すぐそこだ、
道が平たくなってるからすぐわかる、平たいとこだから昔は林業の拠点に
してた、そうそう若いの集めてやらせたんだよな山仕事、と。

T氏は前の週には
090827_145358.jpg
蓑毛の南側の
「寺山」方面





を散々探して、高取山556.3mにも登ってみたそうです。
それらしきものは見当たらず、蕎麦の有名店「石庄」や
地元の人たちに伺ってもどなたもご存じないので、
とっくの昔に潰されて
0908191058_3.JPG
「東京カントリー倶楽部」
のグリーン





になってしまったのか、としょげていました。

その後、国土地理院のサイトで終戦直後に米軍が撮影した航空写真
に何か痕跡はないかなどと一所懸命調べてましたが、ふとS文社の
地図の1/25,000版を見たら、
090827_145608.jpg
富士見山荘の付近も「寺山」、
さらに諸戸の山林も「丹沢寺山」







となっていることに気づいたそうです。
これだ!と叫んでヤビツから歩いてみると大当たりだったそうです。

ってか、札掛周辺では報国寮を知らない人はいないようで、後で
0908231048.JPG
コーヒー(¥300)
飲みにお邪魔した
「丹沢ホーム」




の中村さん?(未確認だが中村芳男先生のご令嬢と拝察)に至っては、
「アーラ私、あそこで昔、ママゴトして遊んだわよ、設備の跡がちょっと
残ってたから、ここは台所、ここはおトイレって、ちょうどよかったのよ」と。

「寺山」の地名がなぜ蓑毛を挟んだ広域の2箇所につけられているのか?
ヤビツ峠を越えた「寺山」は里の寺山の飛び地なのか?
これも何やら由緒がありそうです。
とりあえず郵便番号は
・里の寺山は〒257-0023
・「丹沢寺山」は〒257-0000 (「その他の地域」扱い)
と分けられており、「丹沢寺山」には一般住宅はなさそうなので、誤配の
心配はなさそうです。
(丹沢ホームは「秦野局区内丹沢札掛」で〒257-0061だそうです)


地名の重複の件は追々調べることにして、まずは報国寮です。
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