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報国というと何となく戦争が連想されてイヤ~ンですが、一つの時代思潮で
あって、学童生徒が工場や農地にかりだされたのは学徒報国隊による勤労
報国だったそうですし、"尽忠報国"という今や絶滅種に絞ってググっても
----- "尽忠報国" に一致する日本語のページ 約 28,800 件
も出ますし、NHK朝のラヂヲ体操に報国体操あり、現在でも社名に入れてる
会社ありという具合で、たぶん報国石鹸や報国歯磨、報国鍋、報国音頭も
実在したものと想像されます。
空気読んでそういっとけば叩かれるおそれのない便利な言葉だという点では、
今のエコ( ´_ゝ`)地球温暖化( ´_ゝ`)地球に優しい( ´_ゝ`)なんてのと全く
おんなし、しかし報国寮の報国は(*`・ω・´)キリッ ア尊い実のある名じゃあ~
あるめえかぁ~ヵヵヵ!とT氏は歌舞伎役者のようにうなって弁護します。
神奈川県立公文書館で昭和17年度の職員録を
拝見したところ、丹沢報国寮長の宮澤敏雄氏は
「縣高等官」に昇進されています。小田原や鎌倉
などの警察署長と同格です。まだ30代そこそこ、
前年度は「農林技手(ぎて)五級」であったことを
考えると、下賤で恐縮ながら現代風にいえば、
ちょwおまwwワロスwww
(最上級はちょwおまwwワロスwwwありえねwwww)
級の人事であったと思われます。
報国寮の制度は県の内外から高く評価されたっぽく、また当時赴任した
内山知事が「神奈川県でやってる施設でここだけは非常によろしい」
と特別昇給があった由です。
T氏は今夜から明朝にかけてこっそりヤビツ越えして未明から札掛の丹沢
報国寮跡の調査を開始しる!と気合を入れてたのですが、どうも台風が
来ているっぽく、仕方ないから夏休みの宿題の「報国寮資料の読書感想文」
でも書くか、とかいってます。
あって、学童生徒が工場や農地にかりだされたのは学徒報国隊による勤労
報国だったそうですし、"尽忠報国"という今や絶滅種に絞ってググっても
----- "尽忠報国" に一致する日本語のページ 約 28,800 件
も出ますし、NHK朝のラヂヲ体操に報国体操あり、現在でも社名に入れてる
会社ありという具合で、たぶん報国石鹸や報国歯磨、報国鍋、報国音頭も
実在したものと想像されます。
空気読んでそういっとけば叩かれるおそれのない便利な言葉だという点では、
今のエコ( ´_ゝ`)地球温暖化( ´_ゝ`)地球に優しい( ´_ゝ`)なんてのと全く
おんなし、しかし報国寮の報国は(*`・ω・´)キリッ ア尊い実のある名じゃあ~
あるめえかぁ~ヵヵヵ!とT氏は歌舞伎役者のようにうなって弁護します。
拝見したところ、丹沢報国寮長の宮澤敏雄氏は
「縣高等官」に昇進されています。小田原や鎌倉
などの警察署長と同格です。まだ30代そこそこ、
前年度は「農林技手(ぎて)五級」であったことを
考えると、下賤で恐縮ながら現代風にいえば、
ちょwおまwwワロスwww
(最上級はちょwおまwwワロスwwwありえねwwww)
級の人事であったと思われます。
報国寮の制度は県の内外から高く評価されたっぽく、また当時赴任した
内山知事が「神奈川県でやってる施設でここだけは非常によろしい」
と特別昇給があった由です。
T氏は今夜から明朝にかけてこっそりヤビツ越えして未明から札掛の丹沢
報国寮跡の調査を開始しる!と気合を入れてたのですが、どうも台風が
来ているっぽく、仕方ないから夏休みの宿題の「報国寮資料の読書感想文」
でも書くか、とかいってます。
***********************
T氏(仮名)によれば、これまでに公刊されている報国寮に関する文献は
次の4つしかないそうです。というか4つとも中味が濃いので個別に熟読
したく、そうすると長い感想文になってしまうので、今回の夏休みの宿題は
概要だけでお茶を濁したい、とT氏は申します。
(1)
宮澤敏雄
「報国寮の回想」
「造林史について想う」
神奈川県農政部林務課編
「神奈川県林業史」
昭和46(1971)年 所収
丹沢報国寮開設の昭和12年10月1日から昭和19年まで初代の報国寮長を
勤めた宮沢敏雄氏の回想記です。報国寮誕生の経緯、栃木県立栃木農学校
教諭から神奈川県報国寮長に転じたご自身のいきさつを含んで報国寮事業の
実際の様子が書かれています。次の文献(2)のベースとなっているほか、
当然ながら(3)(4)でも参照されています。
これを収録する「神奈川県林業史」は和文タイプによる力作で、県の事業と
して丹沢の治山を担当された方々の記述が多くあり、ウカウカ系V派の
アマチュア堰堤観察家としては、これはこれで熟読したい、とT氏は申します。
神奈川県内の主要図書館に所蔵されているほか、「e-丹沢」の裏サイトに
表紙以外のpdfファイルが置いてあります。宮澤回想記を含む部分は↓
http://www.e-tanzawa.jp/support/e-tanzawa_Supt/info/tanzawa-DB/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E6%9E%97%E6%A5%AD%E5%8F%B2/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E6%9E%97%E6%A5%AD%E5%8F%B209.pdf
pp.162~172
宮澤先生は95年の大晦日に惜しくもなくなられたようですが、お名前で
ググると退職後も大磯・二宮の文化財保護委員などで活躍されており、
・神奈川県文化財調査報告書第36集(1974)大磯高麗山
・神奈川県文化財調査報告書第40集(1980)大磯高麗山
・神奈川県文化財調査報告書第43集(1983)大雄山杉林
に報告されています。ウカウカ系V派として見逃せない資料です。
また横浜植物会の顧問として「鎌倉で炭を焼く会」の指導にあたられた、
という記録があります:
1992年2月~1994年2月
前鎌倉市緑化推進専門委員 故宮澤敏雄先生の「炭焼き窯作り」に参加し、
市内で炭焼を実践(黒炭1号窯;5回実施)。
1994年12月~1996年12月
故宮澤俊雄先生の指導により、市内で再度、窯を建造し、間伐材や廃材を
利用した炭焼を実践(黒炭2号窯;10回実施)。
http://www.geocities.jp/ozikudo/yato/sumiyaki.html
シマッタ15年遅刻したとT氏は悔やみます。。
横浜植物会年報第25号(1996年発行) 特集 宮澤敏雄先生を偲ぶ
http://www011.upp.so-net.ne.jp/yoko_syoku/printing/nenpo25.html
(2)
神奈川県農政部林務課編
「神奈川の林政史」
昭和60年(1985)
第13章「林業教育」
長洲知事(当時)の題字・序文付の1000ページ近い立派な本です。
「神奈川県の林務行政の中で特記されるべき施設として報国寮がある」
で始まる第13章を充て、丹沢報国寮、続いて開設された箱根、綾瀬、
三保、鳥屋の報国寮について記述してあります。内容は(1)を編集した
ものですが新情報も含んでいます。執筆者の記名はないので林務課の
職員によるものと思われます。
「報国寮の参加者たちは今や高齢であるがそれぞれに当時を回顧して、
『報国寮の体験はその後の人生にとって有形、無形の糧となった』と
高く評価して述懐している」という一文があり、次の(3)の和田先生の
文はこれに反論するものとなっています。
古本屋に出回っていますが最低でも3万円の値が付いています。
T氏は貧乏なので県立図書館「かながわ資料室」開架本から必要箇所を
コピーしたそうです。
(3)
和田正洲
「丹沢報國寮」
「にのみやの歴史」
第2号(1990.3))所収
昭和13年に実際に丹沢報国寮に参加した民俗学者和田正洲氏の回想記です。
和田先生は当時國學院予科一年生で、横浜市社会教育課長であった御尊父の
「強引なすすめ」で夏を利用して行ったとあります。翌年二年生の夏は先輩の
故角川源義氏(元角川書店社長)と飛騨山中を富山まで民族調査しながら縦走
したので、その記憶に間違いはないと強調されています。
(2)の論調への反発を執筆動機とされており、報国寮は時局に利用された施設
であり、ナチスドイツのArbeitdienstの日本版であり、勤労奉仕に名を借りた
戦闘員訓練所であった、と断言されておられます。
なお、初代寮長の宮沢氏とは戦後「大磯町文化財保護委員」として再会された、
という記述があります。
T氏は秦野市立図書館の開架で見つけてコピーしたそうです。
残念ながら和田先生も故人のようです:
http://kenkyu.kanagawa-u.ac.jp/kgdb/KgApp?chosyouid=ymeygoygggo&chosyoseq=80
(4)
矢野慎一
「戦時下・神奈川における報国寮の研究」
(「昭和のくらし研究」No.5(2007.3.))
(1)~(3)の情報に加えて神奈川県下の公文書を丹念に拾い、また箱根と綾瀬の
報国寮の体験者への貴重なインタビューを含む、現在のところ報国寮に関する
唯一の研究報文です。資料の所在を挙げて下さっているので大変有難い、と
T氏は申します。
プロフィールを拝見すると、著者の矢野先生は神奈川県立高校の教諭として、
また「戦時下の小田原地方を記録する会」会員として活躍されておられます。
奇しくも国学院の大学院にかつて在学されたとのことで、(3)の和田先生の
後輩ともいえる方です。
矢野先生の結論も、残念ながら報国寮には当初の理念「治山の勤労奉仕」が
消え、「忠君愛国」に置き換えられてしまった、というものです。
しかし時局柄、国から予算を流してもらってやった事業としては、それは仕方
なかったじゃまいか?ずっと後になって参加者が、たとえば不幸にして地震や
大雨で各地で発生する土砂災害のニュースを見るたびに、汗水垂らして働いた
「あの日」を思い返して、「ああ、崩壊地に山腹工がしてあれば」「ガレ沢の下に
住むなよ」「皆伐したんか!?皆伐するな!」などと思うことがあれば、それで
立派に目標は達成されたんじゃまいか?教育ってそういうもんじゃね?とT氏は
ウカウカ系V派のアマチュア堰堤観察家として反論したいそうです。
T氏は靖国神社近くの「昭和館」」(厚生労働省管轄の立地建物とも立派すぐる
施設)に出かけてコピーしたそうです。ここのコピー代は通常の倍で1枚20円
だったそうです。
T氏(仮名)によれば、これまでに公刊されている報国寮に関する文献は
次の4つしかないそうです。というか4つとも中味が濃いので個別に熟読
したく、そうすると長い感想文になってしまうので、今回の夏休みの宿題は
概要だけでお茶を濁したい、とT氏は申します。
(1)
「報国寮の回想」
「造林史について想う」
神奈川県農政部林務課編
「神奈川県林業史」
昭和46(1971)年 所収
丹沢報国寮開設の昭和12年10月1日から昭和19年まで初代の報国寮長を
勤めた宮沢敏雄氏の回想記です。報国寮誕生の経緯、栃木県立栃木農学校
教諭から神奈川県報国寮長に転じたご自身のいきさつを含んで報国寮事業の
実際の様子が書かれています。次の文献(2)のベースとなっているほか、
当然ながら(3)(4)でも参照されています。
これを収録する「神奈川県林業史」は和文タイプによる力作で、県の事業と
して丹沢の治山を担当された方々の記述が多くあり、ウカウカ系V派の
アマチュア堰堤観察家としては、これはこれで熟読したい、とT氏は申します。
神奈川県内の主要図書館に所蔵されているほか、「e-丹沢」の裏サイトに
表紙以外のpdfファイルが置いてあります。宮澤回想記を含む部分は↓
http://www.e-tanzawa.jp/support/e-tanzawa_Supt/info/tanzawa-DB/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E6%9E%97%E6%A5%AD%E5%8F%B2/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E6%9E%97%E6%A5%AD%E5%8F%B209.pdf
pp.162~172
宮澤先生は95年の大晦日に惜しくもなくなられたようですが、お名前で
ググると退職後も大磯・二宮の文化財保護委員などで活躍されており、
・神奈川県文化財調査報告書第36集(1974)大磯高麗山
・神奈川県文化財調査報告書第40集(1980)大磯高麗山
・神奈川県文化財調査報告書第43集(1983)大雄山杉林
に報告されています。ウカウカ系V派として見逃せない資料です。
また横浜植物会の顧問として「鎌倉で炭を焼く会」の指導にあたられた、
という記録があります:
1992年2月~1994年2月
前鎌倉市緑化推進専門委員 故宮澤敏雄先生の「炭焼き窯作り」に参加し、
市内で炭焼を実践(黒炭1号窯;5回実施)。
1994年12月~1996年12月
故宮澤俊雄先生の指導により、市内で再度、窯を建造し、間伐材や廃材を
利用した炭焼を実践(黒炭2号窯;10回実施)。
http://www.geocities.jp/ozikudo/yato/sumiyaki.html
シマッタ15年遅刻したとT氏は悔やみます。。
横浜植物会年報第25号(1996年発行) 特集 宮澤敏雄先生を偲ぶ
http://www011.upp.so-net.ne.jp/yoko_syoku/printing/nenpo25.html
(2)
「神奈川の林政史」
昭和60年(1985)
第13章「林業教育」
長洲知事(当時)の題字・序文付の1000ページ近い立派な本です。
「神奈川県の林務行政の中で特記されるべき施設として報国寮がある」
で始まる第13章を充て、丹沢報国寮、続いて開設された箱根、綾瀬、
三保、鳥屋の報国寮について記述してあります。内容は(1)を編集した
ものですが新情報も含んでいます。執筆者の記名はないので林務課の
職員によるものと思われます。
「報国寮の参加者たちは今や高齢であるがそれぞれに当時を回顧して、
『報国寮の体験はその後の人生にとって有形、無形の糧となった』と
高く評価して述懐している」という一文があり、次の(3)の和田先生の
文はこれに反論するものとなっています。
古本屋に出回っていますが最低でも3万円の値が付いています。
T氏は貧乏なので県立図書館「かながわ資料室」開架本から必要箇所を
コピーしたそうです。
(3)
「丹沢報國寮」
「にのみやの歴史」
第2号(1990.3))所収
昭和13年に実際に丹沢報国寮に参加した民俗学者和田正洲氏の回想記です。
和田先生は当時國學院予科一年生で、横浜市社会教育課長であった御尊父の
「強引なすすめ」で夏を利用して行ったとあります。翌年二年生の夏は先輩の
故角川源義氏(元角川書店社長)と飛騨山中を富山まで民族調査しながら縦走
したので、その記憶に間違いはないと強調されています。
(2)の論調への反発を執筆動機とされており、報国寮は時局に利用された施設
であり、ナチスドイツのArbeitdienstの日本版であり、勤労奉仕に名を借りた
戦闘員訓練所であった、と断言されておられます。
なお、初代寮長の宮沢氏とは戦後「大磯町文化財保護委員」として再会された、
という記述があります。
T氏は秦野市立図書館の開架で見つけてコピーしたそうです。
残念ながら和田先生も故人のようです:
http://kenkyu.kanagawa-u.ac.jp/kgdb/KgApp?chosyouid=ymeygoygggo&chosyoseq=80
(4)
「戦時下・神奈川における報国寮の研究」
(「昭和のくらし研究」No.5(2007.3.))
(1)~(3)の情報に加えて神奈川県下の公文書を丹念に拾い、また箱根と綾瀬の
報国寮の体験者への貴重なインタビューを含む、現在のところ報国寮に関する
唯一の研究報文です。資料の所在を挙げて下さっているので大変有難い、と
T氏は申します。
プロフィールを拝見すると、著者の矢野先生は神奈川県立高校の教諭として、
また「戦時下の小田原地方を記録する会」会員として活躍されておられます。
奇しくも国学院の大学院にかつて在学されたとのことで、(3)の和田先生の
後輩ともいえる方です。
矢野先生の結論も、残念ながら報国寮には当初の理念「治山の勤労奉仕」が
消え、「忠君愛国」に置き換えられてしまった、というものです。
しかし時局柄、国から予算を流してもらってやった事業としては、それは仕方
なかったじゃまいか?ずっと後になって参加者が、たとえば不幸にして地震や
大雨で各地で発生する土砂災害のニュースを見るたびに、汗水垂らして働いた
「あの日」を思い返して、「ああ、崩壊地に山腹工がしてあれば」「ガレ沢の下に
住むなよ」「皆伐したんか!?皆伐するな!」などと思うことがあれば、それで
立派に目標は達成されたんじゃまいか?教育ってそういうもんじゃね?とT氏は
ウカウカ系V派のアマチュア堰堤観察家として反論したいそうです。
T氏は靖国神社近くの「昭和館」」(厚生労働省管轄の立地建物とも立派すぐる
施設)に出かけてコピーしたそうです。ここのコピー代は通常の倍で1枚20円
だったそうです。
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