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頼まれ仕事がちょい一段落した、とT氏(仮名)は申します。
いよいよ丹沢の堰堤観察の時代が到来した、と申します。

M-K登山学校は梅雨空をものともせず、むしろ雨予報を強引に
晴予報に変えながら開催されており、前回は若手精鋭とともに
「(恐怖の)仲ノ沢径路ー小川谷廊下横断ー白ザレのピーク」
を踏破されたっぽい、と申します。
http://www.geocities.jp/mk20030130/308-2011-06-19-ogawadaniroukaoudann-sirozarepi-ku.html
頼まれ仕事を抱えていたT氏はこの偉業を指をくわえて
眺めるしかなかったと申します。ただし同ルートには石積は
ないっぽく、エンテイ期待値はゼロであるため、頼まれ仕事を
抱えてなくても指をくわえて眺めていただろうと申します(殴)

仲ノ沢径路 -----
玄倉の最奥にある仲ノ沢径路は当ブログ発祥(発症)の地で
あり、当地におけるT氏の道迷い例をテキ~ラさんのブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/tequila4392/40446626.html
に取りあげてもらって大喜びしたのがそもそもの始まりであった、
と申します。

あれから40年(きみまろ風) -----

一帯には山仕事が入り、入口は整備され径路はハイウェイ化
され、間伐材はなぎ倒されて整然と並べられ、シカ柵の材料が
ヘリで運搬され、シカは続々と追い込まれ中っぽい、と申します。

機は熟した、今こそ当地の施行年度不詳エンテイ8基

fefa8667.jpeg平成8年度
「仲の沢調査委託業務報告書」
平成9年3月
神奈川県西武治山事務所
国土防災技術株式会社
p.66


のすべてをこの目で観察するチャンスである、と申します。

まずは丹沢はよいと申します。
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----- 気仙沼のドブをさらえ! -----

6/4(土)、わがアマチュア堰堤観察家AEK32最小隊は茨城県
小美玉市のレーベン・コーポレーション(中古車販売会社)が
企画するバスツアー(入浴・昼夕食付き参加費4000円)
http://rebencorporation.blog.fc2.com/
に合流し、気仙沼市内において展開された

DVC00022.JPG南郷泥アゲ大作戦









に参加した、とT氏(仮名)は申します。

現在は日本国に併合されているケセン地方。かつては黄金の国
ジパングの名をほしいままにした栄光の独立国家であり、今もなお
ケセン語が話されるなど、

2ed9522c.jpegケセン語入門
山浦玄嗣著
平成元年8月10日発行 改訂版
共和印刷企画センター

第6回全国地名研究者大会
「風土研究賞」受賞




文化的にユニークな存在であると申します。

山浦医師が高らかに宣言しておられますように、

7c14b24e.jpeg我々の先祖は、大陸文化の物真似でなく、
真に自らの力であの独創的な縄文文化を
この列島に築きあげた北方縄文人であり
ます。
あの燃え上がるような火炎土器の
強烈な個性
こそは、我々東北の民が自らの
燃える魂を自らの手で表現した、ヒタカミの
創造精神の象徴です


(「ケセン語入門」p.21)


であるとすれば、火炎土器のような強烈な個性が石積みにも
期待される
と申します。

はたして自分勝手なT氏は「味の素」と同じぐらいに苦手な集団
行動の規律に耐えられるのか?禁煙でネットもつながらない
長時間のバス缶詰に耐えられるのか? 
予備調査記の更新は今度の日曜日!これは見逃せない!!
と申します。

おっと石積み観察の前にドブさらいだと申します。
これは本年度もM-K町内会で開催される「蘇れ、碧の深淵」
プロジェクト
の準備的な意味合いもある、と申します。

申すまでもなくケセンとともに丹沢はよいと申します。
----- 帝室林野局の石積を観察せよ! -----

5/21(日)、わがアマチュア堰堤観察家AEK32最小隊は
M-K総帥隊に合流した、とT氏(仮名)は申します。

昨夏のM-K登山学校<ニシタンのニシタン入門編>では
「水ノ木」「地蔵平」を含む周回をウカウカ堪能し、あれで
ニシタンのニシタンの味をしめたと申します。

今回の開催地は「秘境!ニシタンのニシタンの西沢」。
記録によれば、西丹の西端つまり世附地区には、
帝室林野局が昭和2年~昭和10年にかけて築設した
石積堰堤33基が分布すると申します。
巨石を密に組んだ極めて特徴的な作風、一見の価値が
オオアリクイ、見なきゃソンブツイワ
と伝え聞く、と
申します:
http://igaiga-50arashi.at.webry.info/201104/article_7.html
(コメント欄ご参照下さい)


しかるに当地への最短の入り口は「山伏峠」。ここは
土日のバスの運行がなく、公共交通手段派には超NG。
のみならず、昭文社地図に
d3c57149.jpeg「南東側は
私有地につき
立入不可」






と明記されるほどの秘境であると申します。

時局柄ゲンパツ関連の動向から目が離せず、隙あらば
座り込んでモニターに流れるアングラ情報を凝視し、
大本営発表との乖離を比較する毎日。そうこうしてるうちに
T氏は目も足腰もボロボロになり、亀度は当社前年同期比で
5割増だと申します。

石積堰堤への熱き思いと、亀になって諸師から頂戴する
であろう冷ややかな眼差しを天秤にかけた結果、熱い
ほうにカタンと落ちた、と申します<(_ _)>

果たして亀なT氏は垂直の壁を無事に登攀できるのか?
チャバネゴキを美しいと申し、見えないイエダニとともに棲む
T氏は、ヤマダニをも美しいと申すのか!?
観察記の更新は次の日曜日!これは見逃せない!!と申します。

丹沢はよいと申します。
春のニカニカのシーズン到来だ(喜)、と申します。
時局柄「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」
「パーマネントはやめませう」等と自粛する向きもあるっぽいが、
アマチュア堰堤観察家(A.E.K.)のT氏(仮名)的には、エンテイ
こそ人生
であると申します。エンテイを観察しつつあれこれと
ろくでもない物思いにふけることができないならば、それはまさに
アイデンチチィの喪失だと申します。
そして半期に一度のニカニカ集会に参上し、なみいる諸先輩に
「いい娘エンテイいたら紹介して下さいね(はぁと)」とお願いして
回ることのままならぬ世の中があったとすれば、それは何という
精神の貧困であろうか?とT氏は申します。

2011春のニカニカ集会場は、西丹沢は焼津755峰。
付近のエンテイ情報をググったところマシラ仙人の御記録に
たどりついたと申します:
http://homepage3.nifty.com/achkun/naka/2003/bodai/bodai.htm
ん?25m級の石積みとな!
これは這ってでも行かんとイカンと申します。
しかしT氏のごときが立入りできるところなのか?
敬愛するイ師匠に前日になってお伺いを立てたところ
「明日MN師範と菩提沢行くよ~ 一緒にどう?」
などというトンデモなお返事を頂いたと申します。
両師の巡航速度は軽くT氏の3倍。お供などベリNGと申します。
http://igaiga-50arashi.at.webry.info/201104/article_5.html
http://70314064.at.webry.info/201104/article_3.html
よって単独で参上としたが、万が一コケた場合を考え、両師の
後をヒソカにストーカーし、大声をあげれば両師が飛んできて
くれるかも知れない距離を精一杯保とう、と心に誓ったと申します
<(_ _)>

516d2fa3.jpeg当日の経路







結果、直登が無理っぽかったのでずいぶん遠回りしたが、
両師を煩わせずに済んだのは幸いであったと申します。

果たして目的の
1104170846.JPG菩提沢堰堤
(大正15年竣工)








は内務省のエース蒲孚の率いる「チーム・酒匂川直轄砂防工事」の
最も初期の築。蒲孚著の教科書「堰堤工学」の叙述に違わず、
岩盤を巧みに利用した見事な出来栄え。 しかも
1104170853.JPG右岸には
崩れながらも
捲き道が用意
されており
(上流の取水路
巡視のためか?)


これがまた絶好の
1104170859_2.JPGエンテイ観瀑路









を呈しており、堪能した、丹沢はよい、と申します。

ニカ^2集会は空前の大盛況(T氏を除き24名様withナナ様)。
大幅に遅刻したがすべり込み、諸先輩にもご挨拶できた、いやはや
丹沢はよいと申します。

往路の松田駅では乗継ぎ時間が3分しかないにもかかわらず
券売機前の前にはジャージ小僧どもの長蛇の列。「降りるとき精算
するよ」と改札を強行突破したが、駅員のヲヤヂは表情をこわばら
せて冷たい視線を下に向けたまま返事をしなかったと申します。
復路の小田急ではゴルフバッグ抱えて隣に座った赤ら顔の酒臭い
ヲヤヂ3人組の大声がやかましく、これが携帯鳴ったと思ったら
どこかの成城学園大学の教員っぽく「どこそこにボランティア学生を
何人送る」等の話をさらに大声で始めたと申します。
小僧どももヲヤヂどもも昨今各々のアイデンチチィを保ってるっぽいと、
泥だらけの靴はいて汗臭いリュックを背負い、その目つき顔つきは
昔よくいた脂ギトギトうすらハゲ宅建なし脱税しまくりインチキ不動産屋の
因業ヲヤヂにますます似てきたT氏が申します。

そんなT氏が丹沢はよいと申します。
ウカウカしてたらば「白醤油」をウリにするラーメン屋が開店してた
っぽいと申します↓
http://bob3.seesaa.net/article/171139363.html
ググれば昨年早々に札幌の店舗が出しており↓
http://blogs.yahoo.co.jp/kony4194/42611303.html
ニカニカ一軍湘南台支部のご近所にもとっくにできていたことには
禿げ上がるほど驚いた、と申します↓
http://blog.toughguy-club.com/?eid=1149

だが写真で判断する限り、いずれの店舗も鹹水臭そうな麺々であると
申します。やっぱ繊細な白醤油には無垢の無塩うどんが似合うはず。
ククク慌てず急いでうどん屋の開店準備をじっくり仕込まねば、
と申したと申します。

などとウカウカしてたらば、今度は
32d2542a.jpegエンテイ観察軍師見習猫
「ジン」が脱走した








と申します(2/11)。

そもそもT氏(仮名)の住居は1階と2階に分断されており、1階には
db76e415.jpeg怪獣マロ









が棲息しており、気弱なジンは2階に押し込められている、と申します。
このまま気弱に育ってはエンテイ観察軍師猫が勤まらぬと焦ったT氏。
嫌がるジンをムリムリ1階に連行し、
ha-maro.JPG怪獣マロのハー攻撃






にさらしてみた、と申します。
ジンは
33ae9450.jpeg耳を後ろに反らして
しばらく耐えていた








が、ついにT氏の腕を振りほどき、玄関先から逃亡した、と申します。

軍師抜きではエンテイ観察ができないT氏。
エンテイ観察を継続するためには何としてもジンを見つけねば、
と焦りまくり、ヨソ様の迷惑もかえりみず、近所にポスター(前掲)を
貼りまくり、決死の形相で朝晩付近を捜索した、と申します。
毎日10km以上のウォーキングをする羽目になったT氏は体重が
5kgも激減したと申します。
にもかかわらず、それからの12日間、ジンが姿を現すことは
遂になかったのである、と申します。
したがってT氏のエンテイ観察が長らくストップしてしまったのも
当然である、と申します。

そして13日目になったらば、ジンの目撃情報を3件立て続けに
頂いた、と申します。まったく、張り巡らしておいた地域猫保護
ネットワークのおかげであると申し、感謝に堪えないと申し、
これでエンテイ観察活動に復帰できるとT氏は申したと申します。

7a040e50.jpegハハハこいつめ








おまけに
36eb2c13.jpegカ・ノ・ジ・ョ
根雪(仮)








を見つけて連れてきたと申します。

根雪(仮)は白醤油のごとく繊細な白無垢で、決して出しゃばらず、
常に相手を立ててその持ち味を生かし、さらに、ちょい太めながら
37e57402.jpeg垂直の壁を登攀する
技術を身につけており

(写真は網戸を登る根雪(仮))







ちょい太めクッション付の体躯でスルスル登るその姿は
まるでま○ちゃんのようだ!と申します。
http://35208454.at.webry.info/
頼もしい軍師になるに違いありませんぜ、とT氏は申します。

今度こそエンテイ活動に復帰できるとT氏が申したその矢先、
世の中が大変なことになったと申します。
f7120b9f.jpeg3.11の地震で斜めった
T氏のアングル棚






われらが松田警察署も駆りだされてるっぽく
0ca37418.jpeg4/15現在も登山の自粛が
要請されてるっぽい








と申します。
よって、この期に敢えて入山する際には、決して事故を起こさぬ
覚悟が必要である、と真っ先に事故を起こしそうなT氏が申します。
(つづくかも)
丹澤山、つまり塩水川・本谷川の一角は、昔からの御留山で、
地元の民もウカウカ伐採を許されなかったっぽいと申します。
明治22年からの御料林の時代も伐採・植林は緩やかだったっぽく、
大いに自然林が残されてるっぽく、T氏(仮名)のごときがウカウカ
歩いても楽しめるっぽいのがまたよい、と申します。

当地にはエンテイも多く、由緒ありげなエンテイもあると申します。
エンテイは人間活動の所産。エンテイ美を正しく鑑賞するには、
築設したエンテイ人種を特定し、その所業を歴史的背景とともに
露わにする努力が欠かせない、と申します。

844c817b.JPG「神奈川の林政史」口絵掲載の
「神奈川県震災荒廃林野復旧事業図」
(昭和5年作成)の一部
緑色 復旧跡地
桃色 荒廃地
灰色 御料林(当時)
(いたずら描きはT氏)


これまでT氏は
●「神奈川の林政史」神奈川県林務課編(1984)
●「神奈川県林業史」神奈川県林務課編(1971)
●「酒匂川水系直轄砂防事業史」建設省京浜工事事務所編(1968)
には大変お世話になったと申します。
林務課内務省のエンテイについては、上記に関連記事あらば
そこから芋づる式に情報が得られることもある、と申します。

しかるに土木部(現、県土整備局)については、薄っぺらのパンフ
あるいはweb上の概略史
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/sabo/sabo/sb2.html
以外にめぼしいものがなかったと申します。
貧弱なアマチュア堰堤観察家(A.E.K.)は資料なくして身動きできず、
したがって土木部系のエンテイについては観察が及ばないという
嘆かわしい状態が長らく続いていた、と申します。

しかるに昨今、塩水川近辺が大栃まつりで盛り上がってるっぽい、
と申します。当地は土木部のナワバリ。しかるに顔バレしてるT氏は
手ぶらではウカウカ参上できなさそうっぽい。
野次馬したい一心でヒッシこいて探索した結果、遂に土木部系が
隠し持つ資料の一部を発掘した(喜)、と申します。
とりわけ県土整備部の出先機関であるところの厚木・松田・平塚・
小田原等の土木事務所が発行する「管内図」は有用であり、
これには「砂防指定地」というナワバリ宣言と、不完全ながら
堰堤配置が5万分の1の地図上にカキコされていると申します。
林務課系は「堰堤台帳」を隠し持ってるっぽいが未公開っぽく、
個別の文献調査が必要だが、土木部系のエンテイは「管内図」の
おかげで一網打尽。今後の観察はむしろ容易かも(悦)、と申します。

管内図はかながわ資料室や横浜市立中央図書館等で閲覧・複写
できるほか、「県政情報センター」
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/johokokai/kenseic/index.html
まで出向けば閲覧も複写も、在庫あらば購入も可能っぽい。
昭和29年頃の航空写真も販売してるっぽく:
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/johokokai/kokushasin/
昭和35年頃に枯れたという大栃の在りし日の姿が見えるかも!?
と申します。
お役所仕事で平日のオフィスアワーしか営業してないっぽいが、
中華街の海員閣豚バラそば等を食し、お土産にシューマイを
求め、別腹で肉まん等をほおばりながら訪問し、管内図等を仔細に
検討し、写真を注文し、飲茶して帰る日が待ち遠しい、と申します。

また各種の図書館等が戦前の文書等をデジタル化する事業等を
推進していることを散策の過程で発見し、その一部はpdf等で
ダウンロードできると申します。地球寒冷化が着々と進行しつつある
昨今、自宅でアツアツのうどんをすすりながら情報収集できることは
大変悦ばしいと申します。

丹沢は資料のヤマもよいと申します。 (つづくかも)
堰堤考究に際し 膝 肩 キーボードの上で
邪魔しながらT氏(仮名)の軍師を務めました
1badc21a.jpeg諸葛亮孔明
(略称"こう")








かねて療養中のところ本日夕暮れ時 秋風五丈原 
ゆっくりと虹の橋を渡って行きました 享年十四歳

密葬の儀は近親者のみにて滞りなく相済ませました

なお後継軍師を
59afa51b.jpegJinni Shrine
(略称"ジン")







が相務めるべく修業致しておりますが何分元気だけが
取り柄の臆病猫(1歳半)にて再起にはいま暫くかかる
所存です

"こう"生前の御厚誼を深謝し衷心より御礼申し上げ
今後とも御指導御鞭撻の程宜しく御願い申し上げます
11月3日(祝)は毎年恒例の文化の日である、と申します。
これにちなみ、T氏(仮名)は単独で下記の事業をもくろんだと申します:

(1)物見隧道の出入口で裸踊り(成功)
(2)煤ヶ谷堀切地区「一ノ沢」上流の石積み探し(3個発見)
(3)丸淵から流出した「鋤」の救出(残念無念断念)
(4)唐沢「牛頭観世音」参詣
(5)クラドウの沢界尾根を下から仰ぎ見る(見るだけ)
(6)唐沢「山の神」石碑の解読(昨年度からの継続事業)
(7)異臭漂う「便」マーク除去(2個所)
(8)石尊沢出合から893ピークに向かうヤセ尾根を登る

時系列に並べたが、いずれも甲乙つけがたき文化事業であり、
(3)を逃したのは遺憾であるが、他を曲がりなりにも完遂したことは
喜ばしい、ただし(8)はチト余計であった、と申します。

今回の事業たちから一つだけ特筆せよ、といわれたならば、それは
(4)の「牛頭観世音」であると申します。

DVC00123.JPG大正十二年九月十五日 水死
牛頭観世音
施主 仲原正作

謹告
文字判別のため表面の苔を
お掃除させて頂きましたこと
お詫び申し上げます



この石碑の存在については、先般当地を訪問されたAY・shiro両師
による「OM2+OM3救出隊」にご教示を頂いたと申します:
http://shiro77.cocolog-nifty.com/kumo/2010/10/post-e226.html
ググれば今春早々にマシラ仙人が散策されており:
http://homepage2.nifty.com/mashira2/mitsu/karasawa/kara_10.htm
これまでこの石碑に気づかなかったのは誠に遺憾であると申します。

「九月十五日」の日付が確認できたことが肝要であったと申します。
と申しますのも、丹沢の関東大震災の土砂災害は、地震当日よりも
9/14~15の大雨によるものが甚大だったとする未確認情報があり、
石碑の日付は確かに「九月十五日」とあり、まさにこれを裏付ける
ものであり、9/15の豪雨によって丹沢の各所で地震の2次災害で
あるところの土石流が同時多発したと考えるべきであり、いうなれば
大正12(1923)年9月15日丹沢の運命を決した日であり、
丹沢の堰堤考究上意義深いものがある、と申します。

石碑の施主である仲原正作さんは、この唐沢の地に水力を利用した
製材所を営み、トロッコ道まで設えて、なかなか盛大であった由。
震災復旧期の膨大な木材需要にもかかわらず、工場も経路も壊滅、
名前をつけて大切にしていたに違いない牛も失って、当地における
製材業を放棄せざるを得なかった仲原さんの悔しさは、それはそれは
いかばかりであったろう、と将来うどん屋を開業して牛と暮らしたいと
申すT氏は申します。
仲原さんの思いが込められた「牛頭観世音」碑に遅ればせながらも
お参りできたことは、アマチュア堰堤観察家(A.E.K.)の一人として
合掌するばかりである、と申します。

丹沢はよいと申します。

110602付記
秦野市議会ホームページに歴代の議長・副議長名が掲載されており、
第2代議長に 仲原正作 が見えると申します:
http://navi.city.hadano.kanagawa.jp/gikai/gicyou.html
同一人物とすれば、ますます丹沢はよいと申せざるを得ないと申します。
ローマは一日にしてならず、と申します。
関東大震災以降ゴマンと積まれたっぽい、5万はないが2万くらいは
あるっぽい丹沢の石積たちも、一日にしてなったとは考えにくいと
申します。

いったい丹沢の石積はどこから来たのか?
震災後、県の林務課に愛知・山梨から治山の技術者が招かれた
事実から、ルーツは愛知と山梨といえないこともないと申します。
愛知では明治24年の濃尾地震の、山梨では明治40年災などの
水害の復旧事業が盛んであったと申します。砂防・治山の先進県
といえる両県から、直ちに経験者が招かれたのは当然であると
申します。

T氏(仮名)はかねて両県の堰堤たちを観察する機会を伺っていたが、
当日、山梨県で母方の法事があり、坊主嫌いの故人の遺志を継承し、
宴会だけ出て墓参りと坊主の念仏をサボり、勝沼堰堤を見た、と
申します。その構造は極めてユニークであり、本やネット情報では
わからんかったが、実物を見て理解した、まさに百聞は一見にしかず、
と申します。

DVC00041.JPG勝沼堰堤水通し
(右下に釣り人あり)
水流部分は「水通し」と
称されますが、現地で実物を
見て初めてその意味を理解
した、と申します



して、宴会には小一時間遅刻し、その隙に山梨県立図書館に走り、優秀な
司書のお姉さんに助けられて資料を探索した結果、勝沼堰堤群は戦前の
エンテイ文化を先導した内務省砂防事業の一大実験場であった
ことが
確認された、と申します。

T氏の母方のルーツは山梨県であったが、そういゃ父方のルーツは
愛知県であった、と申します。
運命的に丹沢はよいと申します。
本日は大漁であったとT氏(仮名)が興奮気味です。

まずは煤ヶ谷のお父さんから五葉ノ松・堀切地区の決定的な情報を
頂き、続く煤ヶ谷登山道ではヒル軍団をお腰に付けた塩団子で一掃、
物見峠では国土地理院の地形図(およびS文社地図)上の位置との
乖離を発見し、ついでに物見隧道の両端は地形図上では20mもの
高低差があることになっているという不合理を発見し、ヘラヘラ笑い、
肝心の堀切地区では空積エンテイを悠々多数発見し、物見沢では
山腹崩壊土砂の堆積状況を見て、丸淵の少し上流で飛び石による
徒渉を試みたところ、ぬっ転び、たちまちタンコブを左腕という珍奇な
個所に出現せしめて「タンコブとはリンパの仕業なりや?」という
大問題の存在を身をもって知り、丸淵では先人の労苦に涙を枯らし、
帰路の唐沢林道では猿を目撃し、本厚木ではB1の雑踏を目撃した、
と申します。

8d7f95a4.jpeg本日の経路(核心部)







すなわち、本日の結論を申せば:

●堀切・五葉ノ松両地区は煤ヶ谷の山仕事の現場であり、
五葉松ノ沢経路(仮)は物見沢経路(仮)とともに重要な
仕事道であった(煤ヶ谷のお父さん談)。よって五葉松ノ沢
に沿って石積が多数造られたのは道理である

●物見沢経路(仮)は緩傾斜だが、札掛と煤ヶ谷を結ぶ
いわば「煤ヶ谷裏山の銀座通り」(仮)。物見沢本流と
上流の支沢において、五葉松ノ沢にも増して多数の石積が
積まれたのは当然であり、実際、空積を大11小3目撃した

●丹沢はよい

と申します。
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